たんぽぽ

 市ヶ谷から鎌倉の病院に移り約2週間おきに主治医と話して処方箋を頂だいすることになったのですが、その医師が5月半ばに開業する旨を聞き(場所は藤沢)遠くはないが、これでまた市役所に届けと領収書提出の義務が発生することになる。
 しかし睡眠導入剤やいつ来るかわからないパニック障害を予防するためには仕方がない。現在の病院は鎌倉山山頂ののどかな場所にあり、行くのは大変だが非常に心地良く精神的には楽である。バス停から1.5キロの距離にありぶらぶらと高級住宅街を歩き、コンビニもなにもない一番奥にそれはある。
 駐車場から下界を見下ろせば我家が見え、直線なら400mなのに切り立った崖のような場所だから遠回りも仕方がない。
 先日診察の後にカウンセリングの時間まで1時間半ほど待たなければならず、最初は庭のベンチで女医さん(当たり先生と呼んでいる・つまりハズレもいる)や事務職の人とお馬鹿な会話をしていたが、飽きてしまい周囲を散歩しようと考えた。
 そうしたら建物の裏に獣道のような(進んでいいのか?)ものを発見。
 こういうとき僕は負のオーラが漂っていようが歩くことに決めている。
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 少し進むと森の中に古民家のような廃墟が幾つか点在していた。いつ崩れてもおかしくないような、でも家には見えない。
 とりあえず気にせず歩みを進める。獣道は続く。
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 そしたらなんと舗装された階段が出現。
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 つまり自宅までの近道があることを知らずに10年以上住んでいた我が奇妙な街。
 ちなみに階段したの奥の集落?の近くに自宅がある。 集落左側の山の中は大仏切通しなる歴史的名所である。
 カウンセリングの時間が近づいてきたのでクリニックに戻ったが、あとから聞いたら美しき外装の建物は40年程前まで檻に張り巡らされた精神病院だったそうで、馴染みの珈琲屋曰く「子供の頃に近くにある夫婦池で釣りをして遊んでいたら、病院から脱走した元自衛隊員が池近くの森の中に隠れて魚や獣を捕らえて自給自足のサバイバル生活をおくっていた。」そうである。元自衛隊員の名前はボクチャンといい、だいたい6ヶ月位潜伏していたものの保護された。凄い話である。
 それから驚いたことにこの病院は82年前に開業したそうで、最初は結核の療養所だったそうである。ということはあの廃屋はその名残と思う。
 結核の療養所といえば生まれ故郷の茅ヶ崎にその昔東洋一の「南湖院」という巨大な施設が存在していた。母校の西浜小学校の裏にそれはあり、先生からは「南湖院は廃墟で崩れるかもしれませんから、あそこでは遊んではいけません。」と注意されていた。そうなると遊びたくなるのが子供というもので、探検したりカン蹴りや鬼ごっこが僕たちの日常だった。以下の記事はブログをはじめたころに南湖院について書いていたから参考までに。
 つまり何が言いたいかというと「ボクチャンはクールな湘南ボーイなのである。」
 パートナーは北海道で「ハートカクテル」を毎回購入しながら「湘南はこういうところだべさ。」BGMは山下達郎やサザンだった。それを道産子というらしい。


 帰りはバス通りを避け先ほどの獣道を歩いた。あまりに急な坂道と階段で左足に痛みを覚え、翌日紀尾井ホールで緊張しながらメシアンを鑑賞していたら足が攣ってしまった。
 

 その日の夜中。突然川端康成先生「たんぽぽ」なる未完の傑作を思い出した。
 その時の自分は入院患者の如く「あぎゃー!!」あれだ・・という感じ。
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 どこかの古本屋で購入した初版。
 美しい装丁。好きではないが東山K先生にしては良い仕事。
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 この小説が傑作かどうかは別にして川端全集読破の初版収集家としては時代背景がなんのその「現在にそぐわない言葉が記されていますがノーベル文学賞受賞者晩年の芸術性を鑑みここに紹介させていただきます。」としか書きようがない。
 それは1頁目にいきなり訪れる。
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つまり、川端先生の「丘の上の病院」とは確実にここであると確信。
 我家から川端邸は近く、大仏切通しの反対側でバスで3つ目の長谷観音前から3分程度の場所。鐘の音は間違いなく長谷観音と考えた。海までは僅かの距離。
 ということは必ずロケ地に赴く巨匠はあの獣道を歩き、鷹のような目で当時も廃屋であったろう小屋と鎖と檻に囲まれた精神病院を観察した。
 しかしこの作品は読めば読むほどに奇怪な内容であるが、帯にある「愛の深淵をうかがい独特の観想を語って・・」非常にエロティックな想像力を書き立てる。
 この気づきは意義ある発見だった。
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