「永遠の故郷」CD版

 ヤルヴィの演奏会で社会復帰できたような気がしていたのですが、どうしても文章が書けない。
 数回ブログにアップしたのですが嫌な文章に思えて、その度に削除を繰り返す。
 自室での音楽はモーツァルトが中心で、ベートーヴェンはまだ気が重く、バッハは悲しみが増すように感じられて、それでも今朝はメンデルスゾーン宗教改革」を聴くことができた。因みにハイティンクが指揮したレコードであるが、別にその演奏が聴きたいわけではなく、たまたま棚の手前に置かれていたから掛けやすかっただけの話。
 例えばマーラーやワグナーなんてコンディション的にはとんでもない話で、先日のヤルヴィで年内のマーラーは打ち止め。暫くは聴きたくない。
  
 今日は6月15日で、気になる事が二つあった。
 一つは「声なき声の会」の集まりが池袋であって、メールや葉書で「特に若い世代に来てもらいたい」と案内があったのですが、行けば相当に疲労が伴うだろうから辞退することにした。今回は日米安保闘争時の未公開写真の展示があるらしく少し興味はあった。20時30分頃まで集会があって、(樺美智子さんが亡くなり52年だそうです。)21時頃に国会議事堂前で献花がある。
 
 もう一つは吉田秀和「永遠の故郷CD版」の発売日。
 大手CDショップに行けば8,400円ですからポイントも高く付くのでしょうが、鎌倉市内の本屋さんで購入したい気持ちが強く、駅前まで出掛けてきた。
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 本屋さんは東口の神社の横にある老舗みたいなところ。
 先日ハル○ウさんが清水の舞台から飛び降りるなんて表現されていましたが、8,400円とは確かに高い。清水は大袈裟ですが鶴岡八幡宮の階段からジャンプする程度の覚悟で、「これください!」
 今回に限っては初版本でなければ意味がないと考えていた。
 これはCDなのか?本なのか?僕の考えでは本である。だから本屋さんで購入した。
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 先生の白鳥の歌となった四部作で紹介された歌曲が全て網羅されていて(CDは4枚)作者自身の翻訳とエッセイ、そしてCDの演奏家紹介、何故この歌手なのか?セレクトの理由が書かれている。つまり本としての「永遠の故郷」と重複している箇所は無いから、まだお読みでない方でもし興味を持たれたら、前回の「永遠の故郷」を読んだうえで、CD版を購入されることをお勧めいたします。
 しかし開封してみれば中身は↑の写真ですから安いと考えたほうが良いと感じられてくるし、翻訳やまだ読んでいない文章があることがなんともいえず喜ばしい。
 「永遠の故郷」で紹介された歌曲は全部で97曲だそうで、それもこうしてCDになってみて初めて気がついたのですが、四部作最後の「夕映」が発表された昨年先生は97歳だったのだから、意識的なものなのか偶然なのか、いずれにしても四季折々の花を愛でるように音楽と詩を鑑賞したいと考えた。先生が表現した語句を引用したが、「花を愛でるように聴きたいのなら、若き日のヘルマン・プライ」 これは「詩人の恋」に対してのお考え。
 
 本屋さんを出て先生のご自宅方面に散歩しながら梅雨の中休みに感謝の気持ちを持つ。
 駅前は紫陽花の季節から成就院明月院が最終目的と思われるけれど驚くほどの人の多さ。でも路地に入れば時々地元の人とすれ違う程度で実に居心地が良い。
 大佛次郎宅近くまできたら、またピアノの練習の音が聞こえる。先日の酔っぱらった自分の幻聴かもしれないと感じたあのピアノだ。こういうときはどこから聞こえるのか探したくなる。そこで周囲の路地をウロウロ。反対側の白い壁の綺麗な住宅が発信源なのだと確認した。あの日もなんの曲なのか解らなかったが、家の前まで来てもなんの曲か解らなかった。つまりあんまり上手くない。しかしいつでも練習しているのだな。頑張ってくれ!
 少し疲れたのでカフェで珈琲タイム。案内された喫煙席に変なお客が二組。一人は男性でたぶん同年くらいだと思いますが和服と草履に煙管(キセル)で、昔の詩人のように(見たこと無いが)顔色が悪い。和服といっても文豪風ではなく若き書生がそのまんま40歳くらいになった感じ。例えば冬の寒い日に肺結核で雪の上に吐血しそうな雰囲気。
 もう一人は秋葉原にでもいそうなメイド的衣装の女性で、それだけなら別に驚かないのですが、いきなり葉巻をやりだしたから吃驚した。変人かもしれない。カフェオレとプリンを食べながら葉巻って凄すぎる。
 
 さて、酒屋の山田屋まで行って地酒「天晴」にするか、湘南ワインセラーデザートワインにするか悩みましたが、デザートワインにして寝酒にしようと、チリの安いの購入。
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 夜中に泣いた自分が滑稽ですが、今日は大丈夫です。
 先生、ゆっくり読ませていただきます。