諏訪根自子さんの死去

 来月舞台で共演するピアニストさんと池袋のカフェで打ち合わせをした。
 互いのイメージを話し合い妥協点を探りあった印象だけれど、イメージは確かなものになったと思う。
 驚いたのはチケットはかなり売れているみたい。こりゃ適当な話はできないと己に言い聞かせる。
 聴きたい人は僕に連絡ください。手元にまだあります。
 
 帰宅しネットのニュースを見ていたら「諏訪根自子さん3月に死去。」の文字が出てきてドキリとした。
 92歳だったそうですから不思議でもなんでもないのでしょうし、演奏家としてリアルタイムで認識できない立場なのでコメントすることが不自然な気持ちもするけれど、その昔(子供の頃)「レコード芸術」を居間にほったらかしにして何処からか帰ってきたら、母親が「諏訪根自子って今こんなに年をとったの?」と言いながらレコ芸を読んでいた。僕は知らないから、スワネジコって何だ?状態だったのですが、話を聞けばかなり美しい天才ヴァイオリニストだったそうで、雑誌には年齢を重ねた上品で美しい女性の写真があった。
 あとから父親に聞いてみたら、「学生時代に諏訪根自子の写真を手帳に挿んでいた。」と言うから、若い時にどのように美しかったのか知りたいと思いながら、確認する術が無いから、独特な響きの名前だけが脳の片隅に長期保存されていた。
 それで調べたら、これらの写真が出てきたので勝手に拝借。
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 これは美しい!オヤジが写真を手帳に挿んでいた気持ちもなんだか解るような気がするが、恐ろしいくらいの美人に感じられてくる。セーラー服姿だから今でいう中学生くらいでしょうか。少なくても僕の中学校時代にこのような女子は1人もいなかった。いやよく思い出すといたのかもしれないが、到底この品格に到達はしていない。
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 ウィキで経歴を調べてみて更に驚いたのは、1920年生まれの根自子嬢は1932年にリサイタルをしていて、その後ベルギーに留学、1942年にドイツでクナッパーツブッシュ指揮ベルリンフィルと共演、ゲッペルスからストラティヴァリが贈られたと書かれている。それってあり?↑のヴァイオリンがそれだな。オヤジの持っていた写真もこれだなと思った。
 前後の話は詳しくは個々にお調べください。因みにyoutubeでも数曲聴ける。ああいう動画を見ると蓄音機が欲しくなってしまうが、もう部屋に置く場所がないし、お金もない。
 とにかく諏訪さんは半年前までは存命で、当たり前だけれど、どこかで生活をしていたのだなと不思議な気持ちになった。頻繁にメディアに登場していれば変わっただろうが、活動をばっさり切った潔さに惚れ惚れする。そのことで静かな終焉が訪れたのかもしれない。もう少し視野を広く持っていれば1990年代に時折開いていたというサロンコンサートが聴けたであろうに、それが残念でならない。
 聴いたこともない演奏家の死に悲しみを感じることは珍しいこと。
 
 合掌