12・24 (あぶく銭は直に使うべし)

 ギャンブルに興味は無いのですが、正確にはパチンコ程度の遊びなら経験がある。
 数年前パチンコ「冬のソナタ」が流行っていた頃、遊び半分で台に向かったら投資額僅か1,000円で大当たりしてしまい、恐ろしいことにそれが止まらず、最終的に所謂打ち止め状態になるまで突き進んでしまった。
 元々「冬ソナ」なんて興味も無く観たこともなかったのですが、確立変動数字が揃うたびにストーリーが映し出されるので、「こういう話なのか、しかし凄すぎるな。」と驚きながら画面を見続け、ありえないような展開に頭がクラクラしながらも途中で止める訳にもいかないから、その時は最後まで続けるしかなかった。
 経験した人なら誰でも解ると思うのですが、10箱以上になってくると脳の感覚が麻痺し始め「もう、どうでもいい」気分になってくるが、「お兄ちゃん、調子いいわね!」なんて何万もつぎ込んでいる隣のおばさんに話しかけられたり、独特の閉鎖的空間であるが故に同じ方向を見つめ続ける奇妙な連帯感が生まれる。これがパチンコかと思った。
 約2時間後、外に出た私は「あぶく銭は直に使うべし」と天の声を聞き、指示に従い電気屋に直行、シャープの液晶テレビを買った。以来パチンコはしていない。当たれば嬉しいだろうけれど店内はうるさいく空気が悪い。
 ギャンブルは基本成功しない。それでも皆が夢中になる理由も理解できるし、偶に当たったりする想定外の出来事や新しい経験だけではどうしても解決がつかないから、だいたいの場合はうろたえる事になるのだと思う。
 そういえば24日最終日をむかえる公共的なギャンブルに年末ジャンボ宝くじがある。
 西田敏行のCMを見ていると「当たる」そうだが、原理原則に従えば買わないほうがいいから私は買っていない。しかし買えば当たる可能性はあるのだから、つまり買うことで夢を見られると誰かが言った。
 友人の同級生でその人は数年前に3億円当てた。真実である。30代の女性で彼女は会社を辞めた。
 流石にその時はもし自分ならどうするだろうかと考えたけれど、己を冷静に見つめると仕事は続けるだろうし欲は一過性のものだろう。今気がついたけれど「人に夢」と書き「儚い」、「安く定まる」と書き「安定」である。
 なんて文章にしたら夢の無い人間みたいですが、私には夢が沢山ある。夢というより目標と定義したい。何故なら願望ではない期限があるからだ。それが何かは内緒。
 メリークリスマス!黄金の夢を!