大リーグボール1号死す。
3ボールと追い込まれた飛雄馬が大リーグボールを投げてからオズマに打たれるまでの尺が呆れるほど長く、「人は死す瞬間に己の人生を走馬灯のように振り返る」をそのままやるもんだから、寺での座禅、雪玉での特訓や、多摩川にボートを浮かべての50円玉の特訓等がリフレインする。
キャッチャー森「どうしてど真ん中を投げるんだ!」
飛雄馬「花形に対しての1球も・・今のも・・・大リーグボールだったんです。」
川上監督「そうだったのか。これ以上星を投げさせるわけにもいくまい。」
大リーグボールは死し、そう、飛雄馬は生きたまま灰になるのだ。
一徹の背番号は84、飛雄馬の16と+することで100になる。
子は親を超え、一際輝く明星となり栄光を手にできる。
つまり血で血を洗う親子の戦いなのである。
観たこと無い人にはなんだか解らないでしょうが、我々の世代男子には常識であり、数ある名場面の一つである。(常識と言えば、当時何故か解らないが必ずジェームス・ディーンかSLのポスターが部屋に貼ってあったみたいなものである。)
「巨人の星」はこの先が辛いのは、どう考えても飛雄馬は重度の鬱病としか思えないくらい落ち込み、回復するまでかなり時間が掛かる。かといって時々やってくる浮かれた飛雄馬はもっと見苦しく、あれでは重度の境界性人格障害みたいで、テレビを凝視できなくなってしまう。
兎に角これから長いトンネルで、そのずっと先に次の名場面がやってくる。
私が小学生の時に観ていたのは何回目かの再放送だろうけれど、今でも一つ一つの台詞まで覚えているのだから幼心にも強烈な番組だったのでしょう。