映画「ガブリエル」

 映画「ガブリエル」を観ました。
 キャスト ガブリエル・・・イザベル・ユベール  ジャン・・・パスカル・グレゴリー
 ジョセフ・コンラッドの原作をシェロー自ら翻訳し映画化
 この作品、理由はわかりませんがカンヌ映画祭から出品を拒否されたそうです。
 考えさせられる映画、一度や二度観ただけでは理解できそうにないが、私は書くしかない。
 「内容」 ベル・エポック末期のパリ。
 貴族階級のジャンが事業に成功し毎週木曜日にサロンを開催し優雅な生活を満喫している。知識豊かで上流社会でのもてなしの精神を兼ね備えた良家出身の伴侶ガブリエル。ジャンとガブリエルは10年連れ添った間柄である。ある日ジャンが仕事から帰るとガブリエルが書置きを残し男と駆け落ち。平静を失うジャン。そこに思いがけずガブリエルが帰宅。ジャンは真意を確認すべく言葉を投げかけるが、ガブリエルは冷淡な表情で質問をかわし続け、しかし時間の経過とともに会話も成立、これまでの夫婦生活の不満を主人にぶつけながら女の本性をさらけだす。夫婦の間に生じた亀裂が埋ることは無い。数回にわたりヒステリーを引き起こし泣きつき修復不可能な愛を求めるのはシェロー特有の男優に求められた性である。
 二人の拗れた関係を最も身近で観察するのは数名の女中達でシェロー好みの美しき人たちであるが、よく見ると女中達はどうやら女装をした若き男性と気がつき、よりシェロー好みの可能性は高い。
 集う人々は教養ある哲学的なやりとり、特に映画前半サロンでのシーンは会話の速度が相当なスピードで理解が追いつかないほど。しかし二度観るとここでの会話に真理を見出せるように感じた。印象としてはプルーストのサロンを想起させる。
 ガブリエルにジャンに向けられた愛が芽生えたのは関係の初期段階だけで、「あなたの精液が体内を流れることは耐えられない」と語り、それでも現在では愛が存在しないが故に二人の生活が可能と考え、ジャンの執拗な自説とかみ合いはしない。ジャンは狂人のように髪を振り乱し廊下に佇み、深夜女中が邸宅のライトを一つ一つ消しながら虚無な表情で歩きつづける中、ジャンの表情は消灯と共に少しずつ確認できなくなり、最後には微かに月明かりに照らされシルエットからは苦悩のみが浮き彫りになる。恐怖に満ちた独特の緊張感、カメラワーク、ファビオ・ヴァッキの不協和な旋律が暗黒の世界を見事に彩る。
 これは単なる夫婦の不和ではなく、生活の中に横たわり避けて通過することのできない愛の不毛に我々は導かれる。つまり時代錯誤の他国貴族階級の不可解な心理寓話ではなく、現代の極めて身近で赤裸々な人間関係に生じる現実と考えたい。シェローは人々の底辺の苦しみこそ宿命と提示する。