命ある粗大ゴミ
テレビで孤独死について放送していて考えさせられながら見入ってしまった。
半分は死後の部屋を片付ける業者さんのドキュメンタリーみたいな構成で、こういう仕事があるとは知っていましたが、だいたい部屋は生前そのままですから、新聞が置かれたちょっとちらかったテーブルや冷蔵庫の中に冷えたビール等が入っていたり全てが生々しい。
今後更に高齢者が増えるし深刻な社会的問題と充分認識しながら、思考が別の方向に歩き始めた。
別の思考とは、前にも似たような記事を書いた記憶があるのですが、説明するならば以下の話。
番組内である独身男性が亡くなり、姉の依頼で業者が部屋を片付けているのだけれど、故人は音楽が好きで棚に大量のレコードが置かれて(夢は音楽喫茶経営だった。)その行く末が気になって仕方がなかったということ。
業者「このレコードは?」
姉「全部そちらで処分してください。」・・・(私「ちょっと待て!」)
音楽愛好家の皆様、これが気にならずにいられるだろうか。
他人から見れば全てがゴミにしか見えない恐ろしい現実がそこにあるのだ。
業者が価値を認識していて的確な手続きを取るのなら安心なのだけれど、粗大ゴミになったり、全部ブックオフに持っていったりしていたら最悪である。
なんか粗大ゴミの可能性が高いのは会社の倉庫みたいな場所に荷物が沢山置かれていて、真ん中に祭壇が作られどっかのお坊さんがお経を唱えているから、「さてはレコードを成仏させようとしているな・・」なんて思うわけ。
実は一昨日近所のオフハウス(ハード&ブックオフ)に久しぶりに行ってみたのですが、申し訳ないレベルでクラシックCDコーナーがあって、私としても拾い物があればと端っこから見てみる。
そうしたらやたらカラヤンとマリア・カラスとアシュケナージばかり並んでいて、どうでもいいが秋川と本田美奈子とリチャード・クレーダーマンなんかもクラシックに組み込まれていて「ああ、オフハウスだな。」と思う。
本もとりあえず眺めたのですが欲しいものは一冊も無い。
CDも本も買われたがっていない。
つまり彼らは死んでいると私は考える。
店内に大きな音で流れる宣伝(たぶん知り合いの女性ナレーターの声)が煩くて、だんだんイライラしてきて、それでも性格的に全部確認しないでいられないから洋服とか椅子とか家電コーナーも見てみた。
結局は何も買わずに店を出たのですが、一つだけ気になったものがあって、それはサンスイのスピーカーで「ジャンク品、左右音が出ます。8,000円。」と意味不明の張り紙が付いていた。
気になったとは、サンスイが良い音とか価値がどうこうではなく、前の所有者はどのような人だったのだろうかである。
所有者だった人は会社員男性でクラシック音楽が好きで、そしてたぶん亡くなっていると想像した。
葬式の後に家族が売りに来たのだろう。
困ったことにスピーカーはまだ生きているように感じた。
サンスイ「私を買ってください。」
私「スピーカー持っているもん。」
サンスイ「たったの8,000円です。」
私「そんなにお金ないよ。5,000円なら考えてもいい。」
サンスイ「そこをなんとか・・」
誰が決めたか買い取りと売値の価格設定。
売りに来る人とお店があって、互いに満足しているか知らないけれど商売が成り立っている。
孤独死の整理会社も、この店も、社会の隙間に入り込み、物にも命があることを気にせず、求められるがままに時間を費やし片付け続けて、日々生活の糧とする。
小銭でも入れば、「お疲れ様!」と数個のジョッキ中生が鈍い音を立て乾杯だろうか。
そんでホッケとか食う。
廃棄されたレコード達は主人公の死を待ち静かに役割を終えた。
悲しい時も、嬉しい時も音楽があった。
感情は溝に刻まれ、虹のように美しく彩られた人生に潤いを与えたのだろう。