「俺たちの朝」封印。谷川俊太郎からヴィソツキー「ハムレット」

 ヴィソツキーによるハムレット朗読だと思う。
 だと思うというのは、無知な小生には理解不能なロシア語だからで、しかしシェークスピアの表現方法は何処の国でも似た感じなのだろうか。
 しかし聴けば聴くほど笑ってしまうくらい凄い朗読で、どうやったらこんなに深い世界が築けるのだろうかと関心を抱く。
 歌手としてソ連の人々を夢中にさせたヴィソツキーが最初は役者だったのだなと思い出させる。
 私は朗読が好きで、中古レコード屋なんかで語りのレコードを見つけると購入したい衝動に駆られる。
 以前ゲーテ「若きウェルテルの悩み」のレコードを発見し、まさに衝動買いだったのですが、これまた理解のできないドイツ語で、それでも気に入って時々聴いている。
 朝夕は気温も低く、自宅を出る時にコートは大袈裟かもしれないがマフラーは必要かなという晩秋にドイツ詩はしっくりくる。
 ましてベルリンフィルの演奏会以降、全く音楽を聴く気持ちが無くなってしまいまして、朗読は具合が良い。
 昨日、仕事先の雑談で知ったのですが、鎌倉の隠れ家的レストラン紹介みたいなテレビ番組があったみたいで、その影響からか駅周辺は真っ直ぐに歩けないくらい異常な混雑だった。
 普通の感覚なら、隠れ家を放送したら隠れ家じゃなくなるから知られては困るように思うのだけれど、隠れ家として紹介されたい妙なブランド意識が隠れ家にはあるのかもしれない。
 口コミで知られるようになる前にメディアを使用し一時的な豊かさを求めると考えたら虚しい感じだが、みんな宝くじも買うし快楽を求めたくなるのは仕方がない。
 人間とはそういうものだ。
 鎌倉がいつ頃からこんなに観光地化しちゃったのだろうと考えながらネットであちこち眺めていたら、これかもしれない重要な説を発見した。
 その昔、日本テレビで放送されていた「俺たちの朝」という人気番組がありまして、私も知っていてたぶん再放送や再々放送とかで時々観ていたと思うのですが、俳優の勝野洋さん小倉一郎さん長谷直美さんが共同生活している、最早死語であるが「青春ドラマ」なのだ。
 恐らく名作だ。
 ご存じだろうか?
 彼らは鎌倉~藤沢間を走る江ノ電極楽寺駅近くで3人で暮らしている設定で、いま考えると男と女が3人で一緒にいる状況が、これまた死語であるが「ダサイ」感じなのだけれど、動画サイトでオープニング映像を観ていたら奇妙に感動的で、ああいう生活に憧れていた子供の頃の自分を思い出した。
 たぶん単純に長谷直美さんが好みのタイプだったのだろう。
 美人だとは思うけれど、一般論として世の中にはもっと美人は沢山いて、先日写真を見たばかりの夏目雅子さんを3大珍味を使用したフレンチのフルコースと例えるなら、長谷直美さんは気が利いた和定食のイメージがして、しかもご飯大盛りサービスします的な感じ。
 自分だけが解ればいい意味不明の例え話だけれど、毎日フルコースを食べられるはずもなく、神様に「どちらか選ばなくてはいけない。」と言われたら私は迷わずに定食にするだろう。
 しかしあの人全くテレビに出ないから存在を忘れかけていたのですが、調べてみたら実業家と結婚されてパリ在住だそうで、実情はフレンチだった。
 美女の定義はどうでもいい、問題はその動画だ。
 駅前、江ノ電極楽寺、大仏、稲村ケ崎等、今と全然変わっていない風景で、ここで撮影していたの?と衝撃を受けたのです。
 どうやらあの時代から鎌倉での生活者が増え始めたみたいで、電車に乗れば東京まで1時間ですから通勤範囲内で海や山と身近に生活できると人々が幻想を抱き始めたと私は考えたのです。
 そこに桑田さんの「稲村ジェーン」が加わって更に人口密度が増した。
 たぶん当っていると思う。
 でも実際に近所にもいるのですが、いつもサーフィンに行っている人がいて、仕事をしているようにも見えないしどうして生活できるのだろう?それこそ宝くじが当ったのかもしれない。
 住めば都であるが、けっして会社勤務の人には生活しやすくないように感じる。
 「俺たちの朝」のテーマソングが懐かしい響きで、歌詞も素晴らしいと思ったのですが、そこでまた衝撃の事実!
 歌が松崎しげる、作曲が小室等、そして作詞がなんと谷川俊太郎だった。
 これは大人として芸術愛好家としての知性と教養が許さない。
 そういえば谷川さんも朗読している・・・・「愛とは、優しさ、愛とは、喜び・・」(これは適当な言葉で、谷川さんお好きな人ごめんなさい。)
 毎年サイトウキネンでもやっているが、あの舞台だけは聴きたくない。
 反旗を翻すように、ヴィソツキーのハムレットとしました。