フェルメール「ターバンの少女」
絵画についての記事を一年以上も書いていないとは気がつかなかった。
ひとつ前の記事が昨年の11月に近代美術館での写真展なのですから、そういえば観たなと記憶が蘇る。
その昔、美術学院で毎日デッサンしていたことがあったり、本来であれば音楽より美術が得意分野なのでしょうが最近は完全に気持ちが遠のいていた。
22日にベルリンフィル聴きにサントリーホールに行って、入口でいつも面倒に思うのがあの大量のチラシで、だいたい貰わないか義理で受け取っても直ぐに捨ててしまうのだが、今回は何故か受け取り開演までの時間を使い一枚一枚確認してみた。
そんな中、気になるチラシを発見。
これは音楽ではなくて展覧会の広告で、オランダのハーグにあるマウリッツハイス美術館所有のフェルメールやレンブラント等オランダ絵画を中心に大規模な展覧会が来年6月30日~9月17日まで上野の東京都美術館であるという。
東京都美術館に対しての気持ちは、なんであんな鑑賞しにくい建物を作ったのかこれまで理解できないでいたのですが、なんでも昨年から全面改修工事しているそうで、チラシのコピーを信じるのなら
≪設備や利便性が一新されるとともに、体験型の新しいプログラムも充実度を高める予定です。さらなる「心のゆたかさの拠り所」へ東京都美術館が生まれ変わります。≫
誰が考えたのか可笑しな文章だな。
「一新される」の後に「体験型の新しい・・」つまり「新」という語が重なっている部分が気持ち悪い。
それでも少しでも落ち着いて鑑賞できる施設になるのなら有難い話。
ところでフェルメール「ターバンの少女」はオランダの国宝クラスの絵画である。
実はその昔貧乏旅行で私は本物を観た。
時間はお昼くらいだから美術館が閉まるまでだいぶゆとりがあった。
駅から歩いて数分の場所にマウリッツハイス美術館。
それでも目の前に美術館があってハーグなんか二度と来ない可能性もあるから、とりあえず入館しNGなら直ぐに出てくればいい程度の気持ちだった。
小さな建物なのに内部は想像以上の作品群。
レンブラントの「解剖学講義」とか教科書に載っていそうなものもあったりして、それでも深い感慨もないままスタスタ歩いていた。
そして3階の部屋だったかとにかく最後のほうで「ターバンの少女」があった。
いきなり私は動けなくなってしまった。
ここで日本の展覧会なんか想像していけないのは、その部屋に自分以外誰もいない現実である。
どうしてここから動くことができるだろうか。
30分だか1時間だか見つめ続けていた。
感動なんてもんじゃない。
恋におちたのです。
どのような気持ちで少女に別れを告げたのか記憶も曖昧ですが「必ずまた会いましょう。」と言葉にした。
来年、彼女が来るのか。
フジテレビの主催で、しかも東京都美術館。
会うべきか。
昔の思い出の中で生きる道を選ぶか。
決断ができない。
後日ブログ友だちのm先生から教えていただいたのですが、「ターバンの少女」はこれまで数回日本で展覧会が行われたことがあるそうです。
大阪までm先生は鑑賞に出かけられ仕事も忙しいからその日のうちに東京に帰宅されたそうで、それでも観に行く価値はあるそうだ。
誰かが訊ねた「パンダを見るみたいに混んでいてもですか?」
「それでも価値はある。」とのこと。
私は随分贅沢な時間を過ごせたのだなと、鼻高々ではなく、逆に申し訳ない気分になってしまった。
そういえば、「デルフトの眺望」は門外不出らしく、オランダの宝のようである。
そういえばフェルメールは風景がを2枚しか描いていないそうです。