村上春樹氏カタルーニャでのスピーチ抜粋。

 音声はカタルーニャ賞受賞時の村上春樹氏のスピーチでの抜粋である。
 スピーチ(20分程度)全てを聴くこともできるのですが、要点を上手く構成してあり、大まかではあるが内容の方向性が信念から逸脱することもなく纏まっているので、ここでは抜粋を採用することにした。
 作家の発言は時に政治家以上の影響力を聴き手に与え、短時間のうちに社会に浸透してしまう。
 どうしても震災と原発の話が主流になり、誰もが真剣に耳を傾ける。
 解りやすい言葉で丁寧に語る姿勢が好ましい。
 カフカ賞イスラエルでのスピーチでも大きな話題になったのですが、今回のといっても数か月前であるが、さほど私には響かない言葉だった。
 地震以降、同じような話を毎日どこかで耳にしてきたことが、神経の摩耗に繋がってしまったのかもしれない。
 少なからず、放射線の知識は頭に入れておいた方がいいのだろうかと考えてしまうが、想像以上に深刻な可能性もあるのですから、数回時間を空けて聴きなおしてみる必要があるのかもしれない。
 先日、関東地区に巨大規模の地震が起こった場合の、想定される津波被害を発表していたのですが、我が鎌倉地区はとんでもない状況になりそうで、波の高さが最大14メートルだそうで、市街地はほぼ壊滅だそうである。そのような体験をしなければならないのか不安である。
 地震津波は自然災害であるが、原発の問題は人災であり政府が容認した法律の上に立脚している。
 ということは我々にも少なからず責任があるのだろうか。
 民主と自民の党首討論をニュースで見ていたのですが、TPP、税金、沖縄の諸問題について論理的発展の無い論議が交わされていた。
 なるようにしかならないかもしれないが、この不快な感じはいったい何なのだろう。
 私はそのうちアクションを起こすかもしれない。
 村上氏は政治家を法律を犬と表現し、我々は大地を踏みしめ非現実的な夢想家になると断言した。
 私はベルリンフィルを聴いてから一週間経過したが、まだ音楽の無い生活を送っている。
 取り立てて不自由もないが、満足もない。
 人に優しくなれない頭の固い大人たちを私は呪いたい。
 君たちは己に自信を持っているのだろうが、不幸な人である。
 「人の望みの喜び」をどう考える。
 彼らこそ不感症で芸術を理解しない犬である。