空から見た東北

 年末年始は北海道で過ごし、先程帰宅しました。
 前回は電車を交通手段にして、(上野発21時~翌日お昼札幌着の北斗星)あまりの長さに草臥れてしまい、今回はたったの1時間半で到着できる飛行機にした。
 電車の時は、一度も通ったことのない青函トンネルをただ体験したいだけの理由だったのですが、通過してみればやたら時間のかかるトンネルにしか感じられなくて感慨もなにもなかった。
 そういえば上野駅北斗星を撮影している人々を車内から見ているのが面白くて、撮影している人を撮影したい欲求が生まれてしまい、撮影しようとしたら「子供じゃないんだから止めなさい!」と連れに怒られたと思いだす。
 今年は4泊だけの短い滞在でしたが、それなりに色んなことがあって楽しい時間を過ごせました。
 1月3日に某所でクレンペラー指揮の「マイスタージンガー前奏曲」を聴きまして、(この話は別の時間に書きたいのですが)帰りの飛行機のラジオ?で音楽を聴こうかなとヘッドホンを装着したら流れてきたのは、偶然にもクレンペラーの「マイスタージンガー前奏曲」でちょいとしたシンクロニシティだなと不思議な気分。
 それで偶々座った席がA列で、つまり羽田に向かって左窓側ということなのですが、外を眺めていたら東北の被災地を肉眼で確認することができた。
 航空会社の雑誌に地図があったので参考にしながら地上を見ていて、たぶん気仙沼辺りから注意深く観察していたのですが、本当に海岸付近が何も無い状態。
 ただ雲が多くて時々見えなくなってしまうのだけれど、福島までは凝視していた。
 それで東電の原発が見えた。
 「マイスタージンガー」だった音楽は「セビリアの理髪師」になったり「フィデリオ」になったりしましたが、そんなことはどうでもいい話で、これまでニュースで学習してきた不確かな情報の発信源があそこにあるのだと気が付いて、どの辺りまでが半径30キロ圏内なのかなとか、爆発した時の見えない物質がどのように飛散したのか等考えたりした。
 そんな細かなことは肉眼では解りっこないのだけれど、結論としてあっというまに羽田の着陸態勢に入ったから、日本がとても小さな国だと改めて感じた。
 これが今回一番印象に残ったこと。
 空港売店の新聞が目立つコピーで
 ・・・神奈川に断層・予兆・・・
 鎌倉市民としては気になるが、夕刊フジだったから買わなかった。
 それで、クレンペラーマイスタージンガーは良い演奏だと思うのだけれど、不幸なことに何も無いあの海岸線と一緒になってしまった。
 そのうち分離するでしょうが、今はどうしようもない。
 人間の脳はそういう仕組みになっているのだと思う。