小澤征爾&水戸の話。
久しぶりのブログです。
年末年始の北海道行きと家賃の更新が重なり、あとは猫たちの予防注射や保険の支払いでそれだけで海外にオペラを観に行けるくらいの出費だった。
大晦日と元旦は毛蟹を食べ、義父の御土産にしたちょいと高価なお酒を開けて酌み交わし、結果として半分は自分が飲んでしまったのですから土産の意味もないのかもしれないが、喜んではいただけたから嬉しく思った。
翌日は夜のすすきのに出発し、海の幸に男山で夕食をとった。
そういえば寒さと雪の中、すすきのと大道りの間にある王将に餃子を買う人々の長い行列ができていたのが不思議でならなかった。
そんな優雅な時間を過ごし鎌倉に帰宅し、しばらくしてからパソコンが壊れてしまった。
まいったな、なくては仕事ができないから・・それで秋葉原を訪ねてみた訳。
そうしたら随分安いショップで、従業員も親切で細かな質問にも答えてくださった。
想像していた金額の約半値で、しかも無料の光回線工事をすれば更に4万円引きなのだから即決した。
物が良いのか非常に使いやすい。
仕方がないからドトールみたいな店にイン。
ところで、正月明けに年末ジャンボ宝くじの当選番号を調べて、(いつもバラで10枚しか買わない)こんなこともあるのだと驚愕した。
実は中の1枚が、1等の2億円に限りなく近い数字配列で組数も同じだったから10回くらい見直して落選を確認。あれが当たっていたら、これからのオペラは全部先行予約でS席にするだろう。
小澤征爾&水戸室内管の演奏会。
小澤さんが一曲だけ指揮とかキャンセルまたは足利公演は中止など話題になっている。
今回、特に昨夜22日のサントリーホールは聴きたかったけれど仕事が夜まであったのでどうにもならなかった。
天皇皇后両陛下がご臨席と特別の演奏会だったようです。
「聴く気持ちがなくなった。」とか「東京からきたのに・・」とか「詐欺だ。」とか「吉田館長を出せ!」とか、それで吉田秀和先生が(98才ですぞ)経緯を説明し、「聴くか聴かないか・・払い戻しはする。他に方法は無い。」とその場を鎮めたそうである。
しかも差額の対応にも応じたそうだ。
それでも20人程聴かずにその場から出て行ったらしい。
このニュースを聞いて私はとても気分が悪くなった。
これは詐欺ではないと断言したい。
批判したお客の気持ちも解らない訳ではないし、きっと小澤さんの音楽が好きなのだろうが、聴かずに出て行った人達がいたお蔭で「本当に音楽が好きな人たちだけが残った」と私は考えた。
聴く気持ちが無くなったり、詐欺と感じたり、館長を呼び出せなど品位が欠落した言葉を吐く馬鹿に、繊細な音楽の機微を感受するだけの能力は無く、ましてモーツァルトやハイドンを聴く資格を持ち合わせいないと思う。
彼らは芸術を理解できない人種である。
例えば完全キャンセルが22日だったとしたら、天皇陛下の前で同じような暴言ができるのか?と問いただしたい。
我々は夏の松本や幾つかの直前キャンセルで既にマエストロの体調を気遣い学習してきたはずである。
水戸室内は名手ばかりである。
それでも名演だったのかそうじゃないのか、その場にいなかったから想像するしかないけれど、本気の音楽が展開されたのではないのかなと感じるのです。
元々私はマエストロの音楽は苦手だったのですが、数年前から少しずつ受け入れられるようになった。
世間がどう思うかどうでもいいが、私はある時を境に小澤さんは大器晩成型だと思い始めた。
思えば小澤さんのワグナーを途中で帰った経験もあるのですから、批判する立場にないのかもしれないが、それは音楽を聴く中で、その日のコンディションに適合できなかった精神的な世界に由来するもので、日本を代表する音楽家を前に、ご高齢でありながら瑞々しい文章を書き続ける文化勲章受章者で鎌倉名誉市民、私の最も尊敬する吉田先生を前に暴言する族とは一緒にされたくはない。
大切なのは、音楽がかけがえのない芸術であると思えるかどうか、人を本気で愛せるかどうか、人生が限られた儚い存在で誰もが何時までモーツァルトを聴くことができるのか判らないのだから、世間に対し寛容であってほしいのです。
正直な感想としてマエストロに向けられた批判は大きくなる要素があるだろう。
もしかしたらオペラプロジェクトやサイトウキネンでも小澤さんは舞台に立てないのかもしれない。
それでもチケットを購入する人はいるはずなのです。
キャンセルの率が高くても何故購入するのか?
当たり前だが、小澤征爾は賞味期限が切れていないからである。
引退の時期だとは感じているが、人生が音楽そのものなら誰にも止める権利はない。
芸術鑑賞にはセンスが要求される。
センスとは能力。
能力のある人が集うときマエストロは指揮をすると考えたらおかしいだろうか。
人間には生きている限り可能性がある。
晩節を汚す・・とか書かれているけしからん記事を読みましたが、ああいう人は何も解っていやしない。
君が聴くときミューズは微笑まないだろう。