お宝公開 その2 「創元」第一号

 高校時代だった。文庫本で小林秀雄氏の「モーツァルト」を買った。悲しいことに難しくて話の大部分が理解できない。 己の未熟さに改めて嫌気がさした。そのまま小林氏を避けるように年を重ねた。ただモーツァルトはFMを中心に沢山聴いた。「名曲の楽しみ、吉田秀和」 嬉しい時も落ち込んだ時もモーツァルトは僕を裏切ることはなかった。
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 大人になった。再度本棚から文庫本を取り出し読み始めた。難しいことに変化なし。しかし話の半分くらいは理解できたような気持ちになれた。
 
 ・・・トルストイは、ベエトオヴェンのクロイツェル・ソナタのプレストをき々、ゲエテは、ハ短調シンフォ二イの第一楽章をき々、それぞれ異常な昂奮を経験したといふ・・・
 
 単純な話だ。トルストイを読み、ゲーテを読み、クロイツェルソナタを聴き、ハ短調交響曲を聴いた経験が文章から親しみやすさを見出しただけ。逆に文章がこちらに近づいてきたのかもしれない。それだけの理由で全集を買った。文庫本と同じ内容ではあるけれど「モーツァルト」がまるで異なるもののように感じられた。全集は「本居宣長」以外は読んだ。つまり、不覚にもまだ途中である。それでも一つ一つの文字を注意深く観察した。
 ザルツブルグとウィーンを旅行した。生家を含む幾つかの家を訪ねた。現地でモーツァルトを聴いた。ドン・アルフォンソがステージの上から客席を指差し「Cosi fan tutte!!」と威嚇するように叫んだ。笑った。アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館にも行った。深い感慨は無し。「名曲の楽しみ」でバレンボイムソナタを放送していて、ああこれ好きだと思いソナタ全集を買った。「いっぺんに聴くんじゃなくて、ときどき時間をかけながら、どうでしょうか。」と吉田秀和氏。
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 ある日神保町古書店街を歩いて、なにげなく入った店で「創元、第一号」に出会った。吃驚して中身を調べた。
 編集者小林秀雄鎌倉市扇ヶ谷四〇三 「ほるぷ出版じゃない、本物だ。」 高いのか安いのかわからないが1,000円だったから急いで購入した。カフェ「ミロンガ」で珈琲こぼさないように注意しながら読み始めた。
 表紙・梅原龍三郎 装丁・青山二郎
 本文 「梅原龍三郎」・青山二郎 「短歌」・吉野秀雄 「モオツアルト」・小林秀雄 「詩」(四篇)・中原中也 「土地」(小説)・島木健作
 これを手放した人は馬鹿じゃないかなと思った。
 とにかく僕が次のオーナーになった。
 深夜ハ短調のCDをBGMに、三冊目の「モーツァルト」を読んだ。
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 ・・・・・確かに、モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない。・・・・・
 
 「かなし」とは万葉歌人の表現。
 最初の時に比べたら7割位は理解できただろうか。しかし凄い文章だな。鳥肌が立った。
 もしこれを同居の猫が掻き毟ったら窓から放り投げてやると考えた。
 
 あるとき、吉田先生は「小林さんの飛躍にとんで、問題を定義して、でもどっかに飛んでいってしまう文章は、とても音楽的とはいえない。カデンツァが無いんだな。」と発言した。
 ショックだった。
 その通りだ。
 最初からどこかで感じていたはずなのに、言葉にできなかった。
 
 ジュピターの楽譜を買った。
 ジュリーニのCDを聴きながらスコアを開いた。
 終楽章のお仕舞いの辺りまできたとき、どうしてか解らないけれど音符が霞んで見えなくなった。
 初めて聴いた時と同じように、モーツァルトは僕を裏切らない。