言葉

 ヤフーサービスの改定に対し多くの人たちが苛立ちをお持ちでいらっしゃる様子。
 個人的には特に被害を受けていないので実感が伴わないのですが、大量の書き込みを少し読んでみると共感できる内容が多く、なるほど利便性以上に面倒なシステムだと感じられてくる。
 そう考えると、面倒なものには巻き込まれたくない防衛本能が働いてくるのが普通の感覚で、『今後記事に対して「イイね!」を極力押さないでいただきたい。』と表明したくなってくる。
 「絶対」に押さないでくださいではなくて、「極力」なのは他人の気持ちまでこちらで決めるわけにもいかないですし、僕は基本的に自由主義の平和主義者だからブログ程度の事で意見する立場にないことが理由。
 ただ、ヤフーからの説明記事に対し趣の異なる意見を書かせていただいた。
 たぶん気にしている箇所がその他大勢と僕の場合異なるのです。
 それは「イイね!」という言葉に対しての不快感である。
 特に「ね」の部分がそうなのですが、怒りを感じるほど嫌だと思う時がある。
 なんと無責任で無防備で脆弱な言葉であろうか。
 これまで心を許せる身近な友人に対しては「良かったですね。」とか「そうですね。」なんて無意識のうちに書いてしまうことはあるのですが、例えば一度も会ったことがない特に年長者や女性に対して警戒しなければならない言葉であると敏感に反応してしまう。(普通の「・・ね」の場合は問題ないですし気がつかないくらいだけれど、「・・ですねぇ~」とか「・・・ですネ。」何故そこだけカタカナ?嫌いだ。)
 使いたくもないですし、使われたくもない。
 以前、「・・・ですネ。」(酷い時は「・・・ですねぇ~」)をやたら使用するブログ上の馬鹿がいて、少し前に関係を切ったのですが、この人は傾向として他者の文章を読んでいないとしか考えられない的外れなコメントをいつも書いてきていた。
 そんな場合どのような返事をすればいいのか思い浮かばず考えてしまったのだけれど、そういう思考は人生にとって非常に無駄な時間。
 不快な文体でも論理的なら良いのだけれど、思い出すだけでもいまだに腹立たしい内容ばかり。
 だから、ある時、馬鹿とやり取りしていると馬鹿になる自分に気がついたということ。
 そんなくだらない話はどうでもいいのですが、今回の「イイね」で忘れかけていた感覚を思い出してしまった個人的な気持ちなのです。
 「イイね」は「Like」から発生したヤフー関係者の短絡的な思いつきなのでしょうが、詳しく調べてもいないから説明しにくいけれど、おそらく造語なのだと思う。
 本来であれば、「共感」や「素晴らしい」が相応しいと感じられるけれど、「共感」とは趣の異なる意見も存在するでしょうし、「素晴らしい」と終止形になってしまっても困る場合もある。
 「Like」は英語ですから更に遠い世界。
 それに英語は嫌いである。
 勿論アメリカも嫌いである。
 いい、イイ、良い・好い・善い等の様々な意味を含み、そこが日本語の情緒。
 それと、ポイント制にも興味無し。
 馬鹿馬鹿しい。