「レコード芸術」 追悼特集 吉田秀和

 「レコード芸術」7月号が、追悼特集吉田秀和だったので購入した。
 しかも死の前日に編集部が受け取ったという直筆遺稿完全掲載である。
 
イメージ 1
 僕は「レコード芸術」があまり好きではない。
 正確には、「之を楽しむ者に如かず」の箇所だけ毎回立ち読みをしていた。
 先生の記事が掲載されていると「お元気だ。」と、いつも奇妙な安心感を持っていたし、今月は何について書いていらっしゃるのかが楽しみでもあった。
 実は数年前にこの雑誌の発行元「音楽の友社」に半分は個人的な事なのだけれど、3ヶ月かけて書いたオリジナル作品を提出して撃沈したことがある。原稿用紙にして約600枚で酷い文章ですから仕方が無いのだけれど、あの時は忙しい中わざわざ社長が僕に会ってくれた。
 平気でそういうアポを取った自分が今では信じられない気分だが、この出版社の基本理念として、「アーティスト本は出版しないこと。専門家に紙面を貸し出しているような特殊な出版社である。」とのお考えをお聞きし、それで他にも理由は色々あるのですが、ともかく駄目だった経験を私は持っている。 
 悔しいので他の方法でチャンスを作りたいと思ったり思わなかったりの今日この頃。
 それで、「レコード芸術」を買ったのは実に久しぶりで、自分でも驚いたのですが前回が「追悼カルロス・クライバー」だったのだから何年前なのだろうか?と申しますか、今後買うことがあるのだろうか。もう無いかもしれない。
 しかし、直筆遺稿は感動的である。
 最後だと考えてしまうから特にそうなのか、先生もどこかで感じていたのではないかと思ってしまうくらい。
 ちょうどCD版「永遠の故郷」を聴くために、書籍版の「夜」を読み返しているのですが、本だけの時では理解できなかった生々しさを詩から感受してしまい既に最初のヴェルレーヌで先に進めなくなってしまっている。
 それでもCDではメリーウィドウまで聴いた。それでも、どうしてその先の「四つの最後の歌」に進むことができるだろうか。現在の心情でシュトラウスとヘッセの生み出した美の世界に入り込むことなど恐ろしくてできない。
 このままではいつになったら菩提樹に辿り着くやら。
 詩の持つ力の大きさに圧倒されている。
 でも、どうせだからとことん思考してやろうと思った。
 四部作を大樹に例えるなら、そこから枝葉が彼方此方に拡がり、何処で誰と出会い何を失い、知識と意識がどのようにして継続するか、或いは挫折するか。
 それでも学習したい(面白い)強く認識しているのだから、これって本気かもしれない。
 ドストエフスキー読んだときもプルーストでも時間が経過すれば少なくても僕の中ではそこそこ完結していたと感じていたけれど、今回ばかりは仕切りなおして取り組みたい。
 今後ブログで感想を書くかどうか解りませんが、書くとしたら具体的な内容にしたい希望はあります。
 近々、クリスティーネ・シェーファーのリサイタルに行くのでゲーテ等の歌詞を頭に叩き込んでみたい。
 王子ホールで聴けるのですから今からわくわくしている。