吉田秀和さんのお別れ会
友人とバーでグラスを合わせた。
鎌倉駅に帰ってきた時刻は0時49分。午前様ということは、既に7月10日 つまり四拾九日になった。
タクシーを待ちながら、もう先生はこの街にいないのだなと空を見上げた。
7月9日(月)19時~サントリー大ホール
お別れ会次第
開会
黙祷
追悼の辞 発起人代表 丸谷才一氏
ビデオ上映 「吉田秀和さんを偲んで」
献奏 水戸室内管弦楽団
閉会
献奏プログラム
バッハ(マーラー編曲) G線上のアリア
開会直前になると、大勢の報道関係者がカメラを構えRA席の通路に並び、ざわざわと落ち着きがない。
彼らは他の取材と同じ意識なのか、正装からは程遠い品位のない普段着のまま暴力的なフラッシュを始めた時、ゆっくりと最後のご来賓が席に進まれた。
ブラックフォーマルの自分に安堵す。
司会はNHKの桜井アナウンサーが務め、まず全員起立を促し黙祷。
弔辞は丸谷才一氏なのですが、体調を崩され欠席とのこと。テープによるお言葉となった。
「私の趣味は吉田秀和さんの本を読むことでした。彼がいなかったら、戦後日本の音楽文化は荒涼で貧しいものになっていたでしょう。」そして「彼は音楽にとって一番必要なもの、聴衆を作った。」とのお話が強く印象に残りました。
丸谷才一氏はスピーチの本を書かれていて、仕事上勉強になるので愛読してきたのですが、毒舌に近い表現も時々出てくるため嫌な気持ちにならないまでも、完全に好きな文章とは言えないと感じていたけれど、この追悼の辞は深い悲しみが伝わって、時に息苦しさを覚えるほど心から感動した。
文章と言語としての言葉は必ずしも一致しないものと確認した気持ちになり、もう一度読み返さなければと考えた。
パイプオルガンの左側に遺影、右側にスクリーン。ビデオ上映はそのスクリーンが使用された。
内容はNHKで放送されたドキュメンタリーの抜粋が中心でしたが、お嬢様とご自宅で寛ぐ様子など番組で使用されていない映像も観ることができた。テレビで目立つ箇所にあったカラヤンの「田園」の評論や、地中に埋めたフォレのレコード、ホロヴィッツの「罅の入った骨董」等のシーンは使われず、子供の為の音楽教室、グールドやアルゲリッチの才能を紹介した部分、チェリビダッケをゴッホに例えた箇所、シェーファーのフランス歌曲等が紹介され、あとは亡くなるその日まで仕事を続けた事実。<行動の人>だったことにスポットが当てられた。そういえば、「機械は良いほうがいいけれど・・そうでなくても・・」発言や手書きの楽譜を切り貼りする<手作業の楽しみ>が含まれていたことが好ましく、とても良い編集だと感じられた。
献奏「G線上のアリア」
僕は指揮者無しで演奏されると思い込んでいたのは、マエストロが指揮活動休業中だったからなのですが今日ばかりは特別な思いがあったのでしょう。事実特別なアリアだった。音の調和が大きく時空を超えて吉田先生に届くかのように祈りとなって結実した。周囲を見渡すとハンカチで目頭を押さえている人たちが大勢いた。これが音楽の力。演奏後メンバー全員で遺影に黙礼。
これは作曲家が妻に捧げた音楽だから、バーバラさんのことを考えての選曲なのだろうと考えていたのですが、途中のホルンソロを聴きながら(楽劇ジークフリート第2幕と同じ旋律)、先生の書かれたエッセイ「ジークフリート」を急に思い出してドキリとした。なんの本に書かれていたのかその場では思い出せなかったのですが、帰宅して直ぐに調べたら、中央公論の「音楽の光と翳」の中だったと発見した。
そこでは「あなたにとって、音楽とは何ですか?」と唐突な文章で始まり、先生は「初めは母であり、それから父になった。そのあと、私自身が父になって以来は、ずいぶんいろいろなものでした。しかし、このごろはまた、母に戻ったようです。」と記されてる。そして自分の過去を思い出しながら文章は進み、最後にジークフリートの第2幕のラストシーンに結びつく。
「私のここが好きなのは、この間の音楽の流れが格段に美しいからというのではなく、この森の囁きに誘われて、まだ見たことのない母親への思いをかき立てられ、それを通じて女性というものを思う気持ちが芽生え、高まってゆくジークフリートの心の動き、それと小鳥の鳴声との切ないばかりの見事なからみ合いの中に、さっきから書いてきた、私が一生追いかけてきた「音楽とは何だろう?」という問いかけに、痛切に呼応してくる、言葉で表わしにくいある響きがあるからである。」
学生時代に読んだと思うのだけれど、僕はこの文章がとても好きだった。
98歳まで少年のように瑞々しい感性をお持ちだった吉田先生であるけれど、永遠の子供、恐れを知らない英雄ジークフリートと重ねて考えたことはなく、寧ろ自分がジークフリートでありたいと思い続けてきた。そのきっかけがこのエッセイだったと思い出した。それだけの理由で今日の献奏は忘れがたい。
当たり前ですが、拍手なんか誰もしないですし、沈黙から始まった音楽は無に回帰した。
全てにおいて特別な時間だった。
来て良かった。
吉田先生、ありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。
閉会の辞に続き、ほぼ全員が起立し皇后様のお姿を見送った。
ブログ書いていたら朝になってしまいました。
外はまだ暗いのですが、小鳥たちが一斉に鳴き始めるのが朝の合図。