そこに自分の考えはあるか その2

 昨日の記事、「そこに自分の考えはあるか・・・」について若干ヘビーで批判めいた内容だったかな、なんて考えてしまい、頭が空になる位の時間経過を待って録画した映像を再度視聴してみた。
 それから一応自分の文章を読み直してみた。
 どうやらあの違和感は、勝手な意見ですし全部自分が正しいとは思わないけれど、そこそこ当たっているような気がしてきた。
 気になるのは、吉田先生が苦労されて作り上げた世界が随分簡略化され、言葉の数々が捻じ曲がった奇妙な単語として独立してしまう危機感を覚えた部分なのです。
 一見知的で好ましい編集なのですが、どうやら最近のNHKはツイート程度の情報発信が主体になってきているのではないだろうか。
 時間も全体で30分に満たない番組ですから、どこまで何を紹介するのかが最大の問題でしょうが、元来音楽や文学は人が時間を掛けて創作し、感受する側も人生のどのタイミングで何を思うのか一定ではないのだから、日本の宝でありかけがえのない存在だった吉田秀和先生を紹介するにはどうしても無理が生じる。
 それでも仕事の断片を端的に紹介するのならまだいい。
 編集による飛躍がどこかデジタル的で、大切な何かが伝えられていない歯痒さがあるとでも表現したらいいだろうか。
 あえてはっきり書くなら、番組担当者は吉田秀和を読んでいないのではないだろうかと感じられるのは、画面上で先生の言葉を変えて映し出すことが平気なのだから、どう考えても許されるはずもない。
 NHKの狙いはコマーシャルナイズされた刺激であると僕は受け止めた。
 さも文化的であると装いながら、つまりセンスが無い。
 
 実は「らららクラシック」と「N響アワー」の違いにも似たようなものを感じている。
 フォルクスオーパーの「メリーウィドウ」を放送していましたが、あれだけでは伝わらない、解説内容も如何なものか。
 BSに加入したなら全曲が鑑賞できる。オリンピックとも連動しその勧誘たるや一日何回あるのだろう、NHKの民営化は加速する。
 
 もう一つ、深夜に視聴者がツイートで参加できるニュースがあって、普段は関心も無いですし名前も覚えていないので調べてみたら、「NEWS WEB24」という番組である。
 あの不可解な番組を民放ではなく、一般市民から金を取る国営放送が始めたのだからテレビも末期的なのかもしれないが、どうしても気になってしまい肯定的な立場になれない理由が二つある。
 一つはツイートの内容で、的確な意見もあるから全てではないが、稚拙な言葉が唐突に出現した時の驚きであり、もう一つは空気の読めないこれまた稚拙なネットナビゲーターの存在である。
 偶然僕が見ていた時はパンダの赤ちゃんが死んでしまった日で、番組でもパンダの話題が中心で、ツイートも「悲しい。」とか「かわいそう」等色々あったのですが、ナビゲーターがその日のもう一人のゲストに(パンダに詳しい人)やたらくどくどと的外れな質問を続け、しかもそれが長くって、女性アナウンサーの表情も強張ってくるし、こっちもイライラしはじめたら、ツイートで「パンダの話長いんじゃないの?」と出たから可笑しくなってしまった。
 更に驚いたのが、2~3日前だったか番組の冒頭がオスプレイのニュースで、いきなりナビゲーターが「だけどオスプレイってカッコワルイですよね。」と言葉にした。
 そしたらアナウンサーもさすがにカチンときたのか、「そういう問題ではありません!」と言い返した。
 僕は思う。あいつに仕事を与えてはいけない。即刻出入り禁止にするべきである。
 
 なんで同じような内容のものを2日続けて書いたかというと、人の数だけ哲学があってもいい、変人が多くてもいい、しかし正しい情報発信はとても大切と感じられるからなのです。
 
 本を読み、音楽を聴き、人に優しくありたい。
 知識をみがいて意識を高め、自分の考えを大切にする。
 
 写真は鎌倉花火大会のクライマックスです。迫力あって綺麗でした。僕はラムネの空き瓶をカラカラ鳴らし、夏の音。「先生、今年の花火は美しかったです。」
 
 それから、10万円の尺玉打ち上げてプロポーズ。FMヨコハマのDJさんが盛り上げたMCで、海岸から拍手と歓声がわき起こった。「おめでとうございます!」
 大混雑でしたが、ああ歩いて帰れる幸せ。
イメージ 1