玉虫一雄氏死去

 
 
 
 
 月末までに書いてしまいたい原稿があって、一度ベットで横になっても気になるから深夜に起きだして、パソコンの前に座ってしまった。
 そのまま作業を続けること数時間、気がついたら朝になっていた。
 少し休憩をしたいと、買ってきたばかりのマンデリン珈琲を濃く淹れ、テレビのニュースを点けた。
 8月15日だから話題の中心は、戦没者の慰霊についての話題が中心だが、今年に限っては韓国の大統領の行動と発言が多く取り上げられ、途中から気持ちが悪くなり、トイレに駆け込み2度嘔吐した。
 本音としては「何を考えているのだろう。常軌を逸した理解不能な行動。」と怒り心頭であるが、僕は表面的には平和主義者なので、「韓国の感情を理解する努力はしつつ、如何なものか。」くらいは思ってしまう。
 そんな事で草臥れてしまい、靖国に行くことができなかった。
 51年のサンフランシスコ条約竹島は日本の一部と公表されたにもかかわらず、その後実質韓国が占拠している状態は赦されるはずもない。
 国際上の司法手続きを無視し、「元々韓国の領土なのだからその必要はない。」とは論理的ではない。
 あえて思想について語りたくも無いのだが、終戦記念日と2度の原爆の日、沖縄慰霊祭、東京大空襲、それから両親の命日には心穏やかに手を合わせることが、民族の常識と考えている。
 これは純粋に死者に対しての祈りのためのものである。
 動画は、人によっては不快に思われる可能性もあるのでしょうが、67年前の「玉音放送」を動画サイトから拝借した。
 当時、天皇陛下のお言葉を収録するにあたりレコードを使用されたそうであるが、収録の依頼をされたNHKの技術者が命がけで録音し、しかも軍部に気がつかれないように放送局に運び込んだドキュメンタリーを試聴したことがあった。
 その技術者、玉虫一雄氏(90歳)が7月16日に死去されたというニュースがあった。
 亡くなったのは仙台市青葉区の病院だそうです。
 死の知らせを終戦記念日に発表したことは偶然ではないのだろうしメッセージ性を感じる。
 
 サッカー選手にしても、泳いで竹島に出かけた俳優も、感情だけで行動するのも方法の一つではあると思うけれど、現実を直視できない知性の欠落した馬鹿である。
 五輪委員会は以前、オリンピック憲章から逸脱した行為に対し、見て見ぬふりをした事柄も存在していた。韓国と北の合同の旗、シドニー五輪アボリジニ応援の形、南アフリカアパルトヘイトの問題はさすがに行動に出たが、今回の問題は趣の異なるもの。
 
 天皇陛下に対しての謝罪要求はどうしても赦すことができない。