魂の行き来する道筋

 数年前から新聞のない生活でいたけれど、村上春樹氏が朝日新聞に寄稿したと知り、近所のコンビニで買ってきた。正確には今年2回目の購入で吉田先生がお亡くなりになったときもそうだった。
 魂の行き来する道筋を塞いでしまってはならない・・これは東アジアの尖閣及び竹島問題に向けられた文士としての意見なのですが、少し疲れているのでここでは詳しくは書かない。気になる人は個々に新聞を買っていただきたい。
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 この人は何か書くと思っていた。
 昨日から国連で日本と中国の間で、喧嘩に近い言葉の応酬があったのは誰もが知っていることですが、そのやり取りを聞いていて、品格が感じられない言葉が最も見苦しく、この調子では実務的な解決方法などでは進展しないとしか考えられない。
 しかし、村上氏は「実務的に解決可能な案件でなくてはならない。」と言葉にしていた。中国の暴動に対し、仮に報復的な行動を取る立場になったとしたら我々の問題となる。
 「他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という、静かな姿勢を示すことが大事、と綴られていた。
 そうなのかもしれない、と寄稿文を2度続けて読んでしまったけれど、納得しつつ全てが正解だとは思えないような、不確かな消化不良が頭の中を駆け巡った。
 
 論理的な確証があったとしても(これは島の問題ではなく、個人的な日常である。)、丁寧な説明を理解しない人たちに多く会っていて、理性のある生活環境では有りえない話なのに、全ての状況が自分に都合のいいように解釈してしまう否定的な世界、とでも説明しておけば良いのでしょうか。
 ここで具体例は公開したくないので割愛するしかないけれど、かなり日本が病んでいることだけは事実なようです。
  今日は生きる指針に絶望を感じてしまった。
 明日明後日と仕事があるので、始めてしまえば大丈夫なのでしょうが、ふと生きていることが無価値で相当に軽いものだと感じた瞬間が一日で数回やってきた。
 暗闇しか見えてこない。
 これは危険な精神状態なのかもしれない。
 ゲームのように簡単にリセットできない息苦しさを覚えるのは何故だろう。
 今夜はとりあえず寝て、身体を休めて朝の光の中に希望を見出せるか試してみたい。