ノーベル賞候補

 前回に続いて村上春樹ネタで書きます。
 というのも、昨日のニュースで氏がアメリカの雑誌かなんかでノーベル賞候補だと話題になっているそうだ。
 でも何年も前から同じようなことを言われ続けていて、今更候補と発表されても驚くほどのことじゃない。
 それに最初から候補者を発表するような軟弱な性質と異なって完全にシークレットで選出することに意義があるのですから、今回のニュースはアメリカのマスコミが勝手に騒いでいるだけで根拠は無く、それに賭けの対象になったりもするのですから馬鹿らしいと僕は思う。
 実際に候補になった人は、50年経過してから「○○氏だった」と発表される。
 例えば日本人で最初に文学賞を受賞された川端康成先生は、(この人に関しては吉田先生同様に先生でなくてはならない。)受賞される何年も前から候補者だったということですが、他には谷崎潤一郎氏と西脇順三郎氏等がそうだった。なるほどと関心する。
 面白いのは、昔の雑誌を神保町辺りの古書店で立ち読みしていると、今の週刊誌と同じような内容で、「三島由紀夫が最有力」とか書かれている。あの人は自分でも欲しかったはずである。
 しかしそれもマスコミが勝手に書いていただけで、三島は候補になっていなかった。
 三島文学が「好きか?嫌いか?」選ばなければいけないとしたら、「好き」になってしまうけれど、正確にお伝えするなら「あんまり好きじゃないけれど時々好き」程度で、全部読んでいないからファンの人から批判されても仕方が無いけれど、本当に好きだったら数年前に出た全集を買っていたと思う。
 全集を購入しなかった明確な理由が2つある。
 1つは文庫本だけで70冊位は持っているから。もう1つは装丁が嫌いだから。(前の全集の装丁は好き。)
 つまり個人的に三島は文庫本で良いのである。ちなみに時々好きな作品は、「沈める滝」「春の雪」です。
 この文章は全て独断と偏見に満ちた独り言であります。
 では川端先生は。この人ほど斬新で美しき日本と人々の情感を表現した文士を僕は他に知らない。
 この写真は全部初版本。
 実はあんまり高くない「千羽鶴」初版を探している。神田で1万3千円もした。5千円位でないかな。
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 細かくは後日改めて書きたいのでパスしますが、北欧の小さな国がノーベル賞作家として川端康成を選出した能力の高さとセンスの良さに今更ながら驚いてしまうのです。
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 そこで村上春樹であるが、読んで面白いしセンスはあるし誰よりも素晴らしいけれど、(まして比較するつもりもない)川端先生や大江健三郎氏みたいな高みにまで行っているようには、どうしても思えない。
 好きなだけに悔しいけれど、ノーベル賞は無理だと感じるのです。
 「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」、文壇デビューの頃の、ナイフで切り裂いたような無駄のない明晰な言葉の連鎖が素晴らしい。比較的最近のでは「東京奇譚集」が好み。
 
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 もっと肩の力を抜いて普通に読み楽しもうではないか。賞なんかどうでもいい。
 しかし、汚い並べ方だな。
 今日は台風が直撃する。
 風が強くても雨が強くてもいい、神の子供たちはみな踊るのだ。