レオ・ヌッチ 45th.Anniversay SINCE HIS DEBUT

 今年70歳になった名バリトンのレオ・ヌッチ「デヴュー45周年記念リサイタル」を聴いてきました。
 11月14日19時~ 東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル 1階席17列目5番で鑑賞。
 伴奏、イタリアン・チェンバー・クィンテット(ピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・ハープ)という組み合わせ。
 クリスマスも近い。小生は宗教的には禅宗に所属し、先祖は源氏の家系らしいのだが、19,000円S席がオークションで激安購入できた幸福を主イエスに感謝したい気分になったけれど、ホール入口の階段にクリスマス的なド派手な照明が施されていて、こういうの誰が考えるのか?音楽を聴きたいだけなのに余計なお世話。バットとかで一段づつ破壊したくなる衝動を懸命に抑える。
 
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 プログラム
 ヴェルディ:詩人の祈り/ああ優しい人よ、取り除いてください/嘆きの聖母よ
 ヴェルディ(マルカリーニ編曲):石だたみの道(インストゥルメンタル
 トスティ:私は死にたい/君なんかもう/初めてのワルツ(インストゥルメンタル)/魅惑/マレキアーレ
 ・・・・・・
 後半は全てヴェルディ
 「二人のフォスカリ」から「ああ、年老いた心臓よ」
 「ドン・カルロ」からロドリーゴの死:「終わりの日はきた」
 マルカリー二編曲「アイーダ」から「愛、祖国、死」(インストゥルメンタル
 「ラ・トラヴィアータ」から「プロヴァンスの海と陸」
 「仮面舞踏会」から「お前こそ魂を汚すもの」
 マルカリー二編曲「ファルスタッフ」から「九十唱」(インストゥルメンタル
 「エルナー二」から「おお、若かりし頃の」
 ・・・・・・アンコールはなんと5曲!
 「リゴレット」から「悪魔め、鬼め」、ペッチャ:「ロリータ」、「トロヴァトーレ」から「君の微笑み」、「忘れな草」、「オー・ソレ・ミーオ」
 
 という、なんとも凄いプログラムである。
 演奏会始まりの演出、会場の証明が暗くなり出演者達が入場し(完全に暗闇)暫しの沈黙の後、ハープだけに照明があたり静かに音楽が始まった。続いてヌッチにスポットライト、昔と変わらない会場に響き渡る朗々とした歌声。ああこれが本当のヴェルディだ。この照明演出は昔なにかで観たピアソラのコンサートを思い出した。
 キャスト全員がブラックフォーマルなのですが、インナーもブラックで蝶ネクタイもブラック、さすがファッションの国イタリアだと関心しつつ、「そうか、こういう方法があったか・・」ともう終わってしまった舞台上の己を想像する。
 トスティの最初の2曲に関しては、「ヌッチ!これは反則行為だ。」と指摘したくなったのは、不覚にも涙目になってしまい、もうどうすることもできなくなってしまった。
 プログラムには<Vorrei morir!>を、「私は死にたい」と翻訳されていてだいたいのCDなんかでもそうですが、なんだか違うような気がしていて、僕の頭が可笑しいと思われてもいいのですが、「ツバメが飛び、花々が大地を彩る季節に、私は死にたい・・」とかいう歌詞である。
 つまり、未然形接続の助動詞で考えると、色々なパターンがあるけれど、詩的表現では、「死なまほし」がヌッチの場合適切に感じられてきたのです。カレーラスだったとしたら「私は死にたい」で違和感がないように感じられるのだけれどなんでだろう?それで気になってしまいさっきからトスティ歌曲集の楽譜を探しているのですが、本だらけの部屋のどこにあるのか行方不明。それでネットで検索してみたら、「私は死にたいものだ」という考えられない翻訳も存在して興醒めした。
 <Non t amo piu>の「君なんかもう」も同じような気分なのですが、内容は昔の恋人を思う哀れな男の思いが綴られている。そのなかで<Te ne ricordi ancor?>「君は覚えているかい?」という歌詞が2度繰り返されて音楽の中で2回歌われる。その機微があまりに繊細で感動のあまり涙が出てしまったのだった。
 情景が見えるような表現、それは景色のようで景色ではない、美しき過去の思い出なのです。自分に置き換えられるのか?と問われても、詩的な美しき記憶なんか無いだろうけれど、ヌッチはそいつをオペラアリアのように歌い上げた。
 僕にはこの2曲が聴けただけでも「生きていて良かった。」と思えたし、もう充分だと感じた。
 休憩時間にブロ友Tさんに会えて、「ルーナ伯爵からロドリーゴになったのが残念。」と言うから、驚いて確認したら確かに「ドン・カルロ」に変更になっていた。残念だけれど仕方が無い。Tさんはアンコールで「私は街のなんでも屋」が聴きたいと言葉にされ、僕は「シェ二エのカルロ・ジェラール」なんてやりとり。ブラックの缶コーヒーを一気に飲干し後半に備えた。
 ヴェルディのアリアはどれも本当に素晴らしかった。オペラのシーンを思い浮かべることもできたけれど、一番感じられたことは純粋に役柄の心情が伝わってくることだった。やっぱりイタオペはヴェルディなのだ。
 ふと思ったのはロドリーゴを聴きながら、もしかしたらヌッチは歌手人生のお仕舞いを見据えているのではないだろうかと考えてしまった。劇中でロドリーゴは若い人だから、もう演奏会でアリアしか歌っていないと思われるし、内容が内容だけにヌッチが死の想念にとりつかれているように聞えてきて、いまだに誰よりも歌えるだけに悲しい気持ちになってしまった。
 この辺りからお客の反応が異常な盛り上がり、大騒ぎ状態になってきた。
 
 アンコールのリゴレットが凄すぎで、来年のスカラ座やっぱり行きたいな・・・
 「君の微笑み」が歌われた感動をどのように表現したら良いのやら、プログラムから消えたルーナ伯爵が聴けて嬉しかった。
 「忘れな草」と「オー・ソレ・ミーオ」では途中で客席にむかい皆で歌おうとゼスチャーを示した。
 昔ドミンゴが「乾杯の歌」で同じようなことをして、蚊の鳴くような声でお客さんが歌った事を思い出し嫌な予感がしたのですが、ヌッチの場合は違った。ホールはありえない程の大合唱になった。これは感動した。
 僕は・・勿論馬鹿みたいデカイ声で歌いました。この2曲は歌詞も全部知っているし暗譜しているのだ。問題があるとしたら最後の高い音が出ないくらい。
 Non ti scordar di me・・私を忘れないでください ヌッチは踊るようなしぐさ、ああこれワルツだった。
 それから缶コーヒーが間違いだったのだけれどエルナーニあたりからトイレに行きたくなってしまい、かといって行くわけにもいかないから最後まで我慢した。
 
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 写真撮影しちゃいけないんだっけ?これだけのスタンディング喝采は非常に珍しい現象。歌の力だ。
 
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 お宝が一つ増えました。9年前偶然レストランで遭遇した時の写真にサインを頂戴した。
 もちろん一枚は世界の名バリトンにプレゼントしました。
 
 終演後、Tさんとイタ飯屋で「ヌッチに乾杯!」