オルガンと陶芸家と奇妙な生活時代

 NHKでスペインのサマランカ大聖堂のパイプオルガンを修復した技術者辻宏さんが紹介されていた。
 7年前に他界されたそうですが個人的に懐かしい人。というのも僕の学生時代の大家さんなのです。
 これが修復されたスペインの16世紀のオルガン。
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 今日の文章は忘れかけていたどうでもいい話である。
 場所は神奈川県の座間市で、芝生のお庭とオルガン工房のあるお洒落なお住まいだったのですが、ある時辻さんはオルガン製作には自然豊かな環境が適しているからと、岐阜県の廃校になった学校に工房を移された。
 どうして辻さんが大家さんになったのかですが、辻夫妻にはお嬢様がいて確かあの頃スイスに留学されていて、空き家になった座間のお庭にあるお嬢様が使用されていた勉強部屋を道路から眺めながら、「ここだったら安く借りられるのかもしれない。」と注目したのだ。
 オルガン工房だった場所は独りの不思議なオーラを出している陶芸家がアトリエとして使い始めていた。
 それで岐阜に電話をして交渉したら、敷金・礼金無しの家賃1万円で住めることになった。風呂無しで、トイレは母屋の裏に水洗のがあって陶芸家と共同使用が条件。
 だんだん思い出してきましたが、あの時代は近所の電気屋でアルバイトをしながら勉強していたのだ。
 休みの日にテレビで「日曜美術館」を見ていると、テレビを持っていない陶芸家がノックして「オイラにも見せろ。」とか言いながら入ってくる。「来週は雪舟だからビデオに録画しておいてくれ。」と注文があったり、そういう時は昼飯をご馳走してくれた。昼飯といっても、山菜を採ってきて天麩羅にして、自分で作った蕎麦だったから思い返せば凄い話である。いつも面白い話を聞かせてくれ、なんとなく尊敬していた。
 モヤモヤしているのは、どうしてもあの陶芸家の名前が思い出せない・・・
 とにかく金は無いけれど自由な時間ばかりで、テープレコーダーのモーツァルトをBGMに芝生に寝転んで読書したり、夜も芝生に寝転んで「月光」を聴いて、このまま生きていくのも悪くないと考えた。
 唯一面倒だったことは高校時代の同級生が買ったばかりの自慢の車で、「ドライヴに行こう!」とやってくることで、神奈川県に住んでいると用事も無いのに深夜の西湘バイパスを走りたがる馬鹿みたいな日常があって、必ずカーステレオからサザンだから非常に居心地が悪い時間。
 そういうのが、どれだけ馬鹿みたいな日常かというと、自室に好きなアイドルのポスター貼るならまだいいが興味も無いくせにSLやジェームス・ディーンだったり、もっと酷い場合は子供の時に遠足で買ってきた「日光」と書かれたペナントを外せないまま大学生になってしまい、本棚には「偉人伝エジソン」が置かれたまま。でも10代後半なんてそんな程度かもしれないというか、それ以前に意味が解らないと思いますが、とにかくそういうものだったのだ。
 
 ある時、馬鹿でかいワゴン車に乗って大家さんの辻さんがやってきた。
 その時はオルガンパーツの最終仕上げみたいで、小さな部品に草や花の絵を描かれたのを憶えていて、僕は純粋に職人の技に見とれていた。
 それで辻さんが岐阜にお帰りになってから、陶芸家がその絵に対して下品な批判めいた言葉を吐いた。そこから先があんまり思い出せないのですが、たぶん目が覚めた。
 大人の階段を一段登ったのだろうか、部屋を片付けてノーマルな日常を歩み始めた。
 しかし現在の自分がノーマルか?と問い掛ければ、アブノーマルじゃないけれど普通ではない。
 それでももう少し階段を登っていると感じるのは、高さで表現するなら辻さんの母屋の屋根位だろうか。
 見下ろせば、今以上に悩んでいる若き自分が「月光」聴きながら芝生に寝転んでいる情景が見える。