猫タクシーと終末への尊厳あるプロセス

 我家には三匹の黒猫がいる。
 テレビでカンニング竹山さん主演の映画「猫タクシー」を観た。
 身体は大きいが最も臆病なピート君(ブログ初登場かな?)が僕の横にいたから、一緒に映画鑑賞していたのですが、画面に釘付け状態で固まってしまった。その姿が面白くて写真撮影しました。  
 映画に登場する猫たちに怯えているのか、自分の縄張りに入り込んできたと思ったのか分からないけれど、頭を叩いても動かないから大丈夫か不安になった。
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 まるで四コマ漫画である。
 
 
 今朝4時25分からテレビ朝日地上波で、フェドセーエフ指揮チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ来日大阪公演の「悲愴交響曲」を放送していた。遺憾の意、非常識な時間帯である。
 実はDVDプレイヤーの機能が半分壊れていて予約録画ができなくなってしまった。ボタンを押せば普通にHDに録画できるのですが、DVDにダビングできなかったり動きがおかしい。
 つまりリアルタイムで観るしか方法がなくて朝まで起きていた。それからずっと睡魔と闘い起き続けている。
 年末年始は毎年のように昼と夜が逆になってしまうので、どこかのタイミングで頑張って元に戻すようにしていて、そのきっかけがたまたま明け方のチャイコフスキーだったのです。
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 「悲愴」なのですが、終楽章が「Adagio lamentoso」ではなくて、「Andante lamentoso」が正しいとのこと。
 マエストロ曰く、「血と涙に満ちた悲劇という感情にはならず、死、すなわち終末への自然な尊厳あるプロセスである。」とのこと。 これは間違いなくここ数ヶ月の中で聞いた最も素晴らしい言葉だと感じた。
 実際の演奏は、他者のAdagioよりもフェドセーエフAndanteの方が遅い場合があるかもしれませんが、時間を気にしながら音楽を聴くなんぞ芸術的とは言えない。
 
 
 さっきからNHKの「ニューイヤー・オペラコンサート」をBGMにしているのだけれど、もう少しどうにかならないものかな・・・はっきりいって日本のオペラはかなり悲しい。