ご案内「山路芳久没後25周年メモリアルコンサート」
「山路芳久没後25周年メモリアルコンサート」
5月6日14時開演 三重県津市の津リージョンプラザお城ホール
先日山路さんの母上からご案内を頂戴し、「必ず聴きに行きます。」とお伝えした。
この日は大安の祝日、確実に司会のオファーがあるだろうな?だからどうした。この日だけは音楽が聴きたい。
写真はウィーン国立歌劇場「アンドレア・シェ二エ」第1幕のカーテンコールの様子、DVD観ながら撮影。左端からシェ二エ役のドミンゴ、マッダレーナのベニャチコヴァ、ジェラールのカプッチルリ・・右端が牧師役の山路さん。指揮者はサンティで演出はシェンク。日が変わればシェニエはカレーラスになり、ジャコミー二になり、ジェラールはザンカナロ。演目が変われば「愛の妙薬」なら主役は山路さん。「セビリアの理髪師」ならヴァイクルやグルベローヴァ、ある日代役のバスは偉大なるギャルロフ。新プロダクションでなければリハもなにもない。舞台上で初対面だからお客様に気がつれないように「よろしく・・」なんて主人公アルマヴィーバ(山路さん)はバジリオに挨拶した。「マイスタージンガー」なら親方歌手になった。リーダーブッシュがザックスでジェームス・キングが若き騎士を演じた。オペラが美しくも華やかで恐らく今よりも充実していたある一定期間、音楽の都ウィーンでこのような日常が確かに存在していた。
こういう文章を書いているだけで胸がいっぱいになり息苦しくなってくる。
誰も知らないような情報が頭の中にはあるのに伝えることの難しさはいつものこと。
(写真はご親族のHPから拝借しました。)
それでも、ブログで時々書いていれば不思議なものでリアクションがある。
ある時、若きテノール歌手からコメントがあった。ここで名前は公開しないが、今の自分にできることを提供した。彼は山路さんを尊敬していた。亡くなった頃に生まれた?つまりリアルタイムで何も知りようもないけれど、熱意があれば次の現実が訪れる。だから今後もう少し何かが動くと奇妙な確信がある。物事は単純に考えた方が良いと思っていて、過去は変えられなくても未来は変えられるはず。
そんなことを考えていたら電話が鳴った。誰かと思ったら山路さんのお姉様からだった。こういう共時性としか思えないようなタイミングが人生の面白さ。ワクワクする。
なんでもお知り合いが僕のブログをお読みくださったそうで、嬉しかったとの報告だった。そいつは逆さまで感謝したいのは僕のほうだから恐縮してしまった。
いつも思うがままに言いたいことだけを勝手に書いている価値もなにもない文章ですが、何処かで誰かが読んでくださっていると想像したら何時の間にか社会的な責任が発生しているのかな?緊張してしまうけれど、今後もう少し山路さんについて書かなければと前向きな気持ちになれたように思う。
暫くお話をして「では、5月に会いましょう!」と電話を切った。そのとき初めて風薫る季節を意識したのだけれど、山路さんは芸大卒業の時に「詩人の恋」を歌われた。メモリアルコンサートの日は晴天になると感じられた。
《Im wuderschönen Moant Mai》<麗しく美しき五月>根拠も何もないけれど、ハイネがそう書いているのだから、そういうもんでしょう。
(オペラのエンドロール)
そういえば、GWの頭に友人の婚礼があって司会のため名古屋まで出動することになっている。
コンサートの時は近鉄に乗り換えて津に向かうのだから、数日の間に二度名古屋まで新幹線に乗るのだなと思いつつ、日程が重ならなくてよかったと安堵した。