サヴァリッシュ

 フィルハーモニア管のエネルギーが強すぎたみたいで、少しばかり音楽から離れた生活をしていました。
 そんなときにサヴァリッシュが亡くなった。僕にとっては一番多く実演に接してきた指揮者で、N響で何度だったのかいちいち数えていないけれど、オペラに関しては思い出すだけで20回(14種)は聴いているから、かなり思い入れのある存在だった。それでもファン心理みたいな感覚はあまり無くて、作品が間違った方向に歩みだすのを制御してくれる職人的気質に導かれていたような気がしていた。わざわざミュンヘンまで行ったのはサヴァリッシュの為というより、投資対象は舞台上のベーレンス、コロ、マイヤーで、自由の女神に例えるのならマエストロは台座の役割と考えていた。世間はどのように捉えているのか分からないけれど、僕にとってサヴァリッシュは完全にオペラの人である。            
 1988年のバイエルン歌劇場日本公演では、1ヶ月間にオペラと特別演奏会合計27回指揮していて、場所も東京、大阪、名古屋、札幌だったのだから今思えば超人的スケジュールだと驚かされる。(先日のサロネンが7日間6公演が小さな話に感じられる。)あの時代はお金が無かった。家賃2万7千円の小さな家に住んで、まさに粗食に徹してチケット代金を捻出、貧乏なのに全部S席で聴いたのは、人生どうにでもなると思っていたから。その後どうにもならない現実を知ったのだけれどここでは関係ない話。特に「マイスタージンガー」と「アラベラ」が懐かしい。
 このまま書き続けるとワーグナーとRシュトラウスの話だけになりそうなので、高まる気持ちをクールダウンさせ、N響との共演を思い出したい。ブラームス「3番・4番」「ドイツレクイエム」ベートーヴェン「3番」「天地創造」「エリア」その辺の曲が感慨深い。「カルミナ・ブラーナ」はテレビ鑑賞だったけれど素晴らしいと思った。(そういえばバイエルンオペラを辞職した後にフィラデルフィア管の常任になって、その数年間だけ聴くことを拒否してしまった。個人的な好みの問題だけれど派手すぎるアメリカンサウンドは苦手だった。)
 最初にN響定期公演に行ったのは高校時代で、確か1000円程度で3階自由席に座れたから色々と聴いて音楽を学習した。その自由席もいつからだったか?1500円になって、いまだに僕は自由席の住人ですが、唯一高額チケットを購入したことがあった。それは2004年のベートーヴェン7番。つまりマエストロ最後の日本公演のときで、1階のライト側の席。マエストロの姿を心に焼き付けようと思っていた。先日「らららクラシック」で少し放送していて、4楽章コーダを指揮するサヴァリッシュ右腕の左後ろでお客の一人が頬杖をつく姿が見える。実にどうでもいい話ですが、あれは僕である。演奏後オケが解散しても拍手が鳴り止まず皆帰ろうとしない。N響定期では珍しいこと。関係者がステージに現れて「お疲れですから・・・」とか話し始めたら、その後から笑顔だけれど本当に疲れた表情のサヴァリッシュが登場した。会場は大歓声。僕が見た最後のマエストロの姿だった。
 引退もしていたしご高齢ですし受け入れるしかない現実だけれど、他の人のときと違う気持ちなのは、「いつか自分も死ぬのだな。」と初めて感じてしまったこと。なんだろうこの気持ち。(馬鹿みたいだけれど昔は自分は死なないと思っていた。)
 音楽の素晴らしさを教えてくれたサヴァリッシュに感謝。
 もし、あなたがいなかったら、僕はクラシック聴いていなかったかもしれない。
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 小さな音で「エリア」を聴いた。
 もう泣きそう。
 
 合掌。
 
 
 追伸
 ブロ友サヴァリッシュさんの記事を読んでいて「あれ?」と思ったことがありました。
 最後のベートーヴェン7番の座席のことなのですが、気のせいかもしれないけれど、もしかしたら小生は1,500円で入館し勝手に空いていた高額な席に座っていたような、不確かで曖昧な記憶。
 程々に解釈願いたい。