お宝公開 追悼サヴァリッシュ

 ブロ友の恵さんに教えていただいた「サヴァリッシュ追悼番組」がFMで放送されました。
 3月1日の14時~18時まで、なんと4時間だったのですが「マイスタージンガー」を観ると思えば短いもんで、事実色んな曲を流しすぎたのか、音楽の断片ばかりの内容でした。
 冒頭に1964年11月東京文化会館の「ドン・ファン」はN響との最初の共演。
 「私とN響の関係は休止符で始まった。」と洒落た発言をしたと紹介されていましたが、楽譜を見たことがないので「ドン・ファンって休止符が最初なのか。」と勉強になりました。そういわれてみればそのように聴こえる。
 東京五輪翌月のN響は時代がかった音だったけれど、一生懸命演奏しているように感じられて、先日「ららら・・」で放送されたマーラー7番より遥かに好ましく感じられた。
 そのあとはバイロイトの「タンホイザー序曲から」・・・それとドレスデンでの「シューマン2番から」・・・チェコフィルとの「モーツァルト38番から」・・・「から」ばっかりなのは音楽愛好家としてストレスなのですが、巨匠の人生を限られた時間でどうにかしようとする事は最初から不可能。とか書きながら実情としては「ドン・ファン」やる時間があるならシューマン全曲にしろ。」とか思っていましたが、日本を代表するオーケストラなのだ。あのバイオリンソロはレッスン代金が高額とか騒がれた海野さんかしらん。
 それでもマエストロがピアニストとしてディースカウと共演したザルツブルク音楽祭の「シューマン歌曲から」は素晴らしかった。一年も経たないうちに二人とも逝ってしまった。このコンビでサントリーホールで聴いたことが懐かしく思い出された。あのコンサートで僕は昔の彼女と喧嘩した。後味の悪い懐かしさ、あれからドイツ詩朗読のように歌うディースカウが苦手である。
 そして、ついにメンデルスゾーン「エリアから」が放送された。N響アワーのときに毎年「あなたのもう一度聴きたい名演は?」(なぜか壇ふみの顔が浮かぶ)その度に「エリアを!」と僕は葉書を出し続けていた。ある時、池辺先生が「忘れてはならないのはエリア・・」と言葉にしてくださり救われた気持ちになった。しかも今回は「エリアから」最後の20分位だったから、最も情熱的な部分。ルチア・ポップの美声に胸がいっぱいになった。そういえばサヴァリッシュ指揮バイエルンの「ドイツ・レクイエム」をサントリーP席で聴いていたときに、ディースカウとポップがソロで、二人のパートナーのヴァラディとザイフェルトが一階センターに座っていた。終演後ヴァラディがカメラを出して(ご主人を撮影しようとしたのか?)アルバイトらしきホールの係員に注意されていた。どっちが悪いとかではなくて、なんとも後味の悪いタイミング。思えばあの日ポップは声が出ていなかった。暫くして彼女は他界した。
 死ぬのはいつも他人ばかり、寺山修二。
 今日のお宝はこれだ。
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 バイエルン国立歌劇場での「ワルキューレ」鑑賞後に出待ちしてサインをおねだりした。
 上からウォータンのボド・ブリンクマン、ブリュンヒルデヒルデガルト・ベーレンス、センターの生真面目な筆記はサヴァリッシュ、下がジークリンデのガブリエレ・シュナウト。
 「ジークフリート」のときも同じようなサインを頂いていて、あっちのほうがサヴァリッシュとコロとベーレンスだから将来的にはお宝になるような気がしている。
 コロといえば、「影のない女、から」も放送され、「Rシュトラウスは銀色と金色を音楽で描き分けたのだな、美しい・・」と思いながら鑑賞していて、そういえばこの番組!一度も嫌な音楽が鳴っていない当たり前の現実に改めて驚きを感じたのです。何故ならそれが<サヴァリッシュだから>なのだけれど、毎年のようにわざわざ極東島国まで来てくださり多くの音楽愛好家に人生の彩を与えてくださった。
 何故日本を愛してくださったのか?
 我々はその誠意に答えなければいけないと思う。