日常の風景
春一番の三日後の夜、埼玉に住んでいる友人が鎌倉までやってきたので、ちょいと隠れ家的なお寿司屋さんで日本酒飲みながら男二人で食べまくった。店主は江戸前のいい仕事をする人で、しかも安くって誰にも教えたくない。時々そういうお店があるけれど、ガイドブックにはまず登場しない。
サロネンの演奏会聴いてから数日間、身体の具合を変にしてしまったとブログに書きましたが、なんと恐ろしいことにノロウイルスだったみたいで、感染元がなんなのか分からないが経験者の立場でアドバイスさせていただくなら、下痢と微熱が続きかなりグロッキーで、だいたい四日間ひたすら我慢すれば回復する。
だから食べて美味しいと感じる喜びはやっぱりお寿司だと強烈に感じられて、とにかく日本人として幸せな時間だった。
テーブルの向こうにチビの耳。
先日従兄から電話があって「墓参りがしたい。その時に渡したい絵がある。」という。墓参りとは僕の親を指すのだが、それは兎も角「絵って何?」と聞いたら、母親がいつか描いた油絵を彼の母(つまり母の妹で僕から見れば叔母。三年前に他界。)が所有していたそうで、これからは僕が持っていた方がいいと考えたということ。
それで従兄に会ってお墓参りをし、お昼ごはんをご馳走してくれて、その絵画を受け取った。その場で包を開封してみたら、その昔確かに観たことがある風景画で、木々の緑に赤い屋根の家が奇妙なインパクトを醸し出している。母は当時、春陽会に所属していた先生に師事していて、「絵が巧すぎるんです。色が暗いんです。」と叱られていたと憶えている。本人曰く「デッサンは学べば誰でもできる。色彩感覚は持って生まれたもの。」だそうで、最初から佐伯祐三みたいな茶色が好きなのだから仕方がないけれど、ちょっとした勇気とタイミングで自分の中の何かをぶっ壊して「緑と赤の絵の具」で明るい絵を描いたのだった。上手に完成したとは思えないけれど変化が生じたことは事実で、それが嬉しかったのか妹にプレゼントしたのだろう。
それで持って帰ってきてパソコンのある部屋に飾った。
従兄とは久しぶりだったので他界した親の世代について話していたら、彼の父親(僕の叔父)が吉田秀和の知り合いだったというから吃驚してしまった。どういった繋がりなのかしっかり理解できないでいるけれど、叔父の親戚が東洋大学の教授だったそうで、その辺から知人になったみたい。
しかしなんてことであろうか、極端かもしれないけれど一生の幸いを取り逃がしたような気分とはこういうことなのかもしれない。
子供はわりと親の話を知らないもので、生きていたのなら質問したいことが幾つかある。
大叔父が宮内庁に勤務していた実態・・母方が源氏の系譜で武将佐々木信綱の弟の直系だという話・・父親は何処から来た誰なのか?等々。
NHKで放送していた「ファミリー・ヒストリー」のように、誰か家系について調べてくれないものだろうか。
最近気になっていることがある。それは近所の横穴なのですが、無意識のうちに戦時中の防空壕だと思い込んでいたのですが、このへんの山は岩盤質で穴を掘ることは難儀な仕事だったろうなと想像していた。
ところがこれらは防空壕じゃないのではないのかなと考え始めたのは、お寿司を食べた後にふらふら穴の横を歩いていた時にス~と霊気が感じられたから。よくわかんないけれど、なんか来た。
改めて写真を見ればやっぱり防空壕じゃない。こりゃ墓だ。数百年前、誰が誰のために掘ったのやら。
今年初めて鶯の鳴声を聞きました。まだちゃんと歌えない。梅が見ごろ。フキノトウを探しに散歩。味噌汁に春の香りを封じ込めた。
写真は自宅の裏山。ここは一応県の保護樹林に指定されている。
反対側の山には、その昔「三貴苑」という料亭があって閉店してから自然豊かな廃墟なのですが、地元住民が反対しているのにマンションになってしまう。工事が開始されるのは六月だそうです。嫌だな。
確定申告の準備ができた。