山路芳久没後25周年メモリアルコンサート その1

 5月6日に三重県津市のリージョンプラザで、山路芳久さんのメモリアルコンサートが行われました。
 演奏会の感想だけならいつものように好き勝手書けるのですが、舞台以外で知識を得たことが多く、3度に分けて文章を作成したいと思います。
 以前からブログ上で紹介してきたように、山路家の皆様はただのオペラファンの僕を家族のように接してくださる。その度に感謝の気持ちが大きくなる。早いものでご家族との出会いから7~8年経過した。
 この日は大安の祝日で仕事が入る可能性が高かったのですが、個人の思いを優先させてそっち方面の依頼を全て放棄し出かけてみた。結果としてその考えは正しく、もし行かなかったとしたら一生後悔することになったかもしれないですし、とにかく人生の素晴らしさを体感する事ができた。
 ご実家の仏間に数枚のオペラの舞台写真(大きなパネル)があるのですが、それをホールのロビーに飾るとのお話を聞き、それはいいアイデアで、僕も多くの来場者に見ていただきたいと思いました。
 ところが演奏会の数日前になって演目は粗方分かるそうですが、山路さんと一緒に写っている歌手に対する知識が無いらしく電話で相談を受け、オペラ好きとして多少の参考になればと思い、姪御さんに写真をメール送信していただきました。
 まずこれは相談されたものではないけれど、左側が「音楽の友」1989年2月号での山路さんとフランシスコ・アライサとの対談の様子。この対談は1988年の12月に行われたもので、マスコミに取り上げられた山路さん最後の写真である。(同月の19日に他界)明るい表情で仲の良い2人は未来について語り合っている。突然の訃報にアライサは衝撃を受けたのではないだろうか。この日取材のあとに2人は秋葉原の電気街に出掛け、山路さんはラジオのキットを購入。アライサ帰国までの数日間、第九公演と芸大の講師の仕事の合間を使いラジオを完成させ、アライサにプレゼントしている。
 右側の写真はバイエルン国立歌劇場での「ナクソス島のアリアドネ」 道化師役の山路さんがツェルビネッタ役のグルベローヴァと楽しそうに演じている様子。
 このようにロビーに飾られたのです。
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 問題は次の写真。右側は「セヴィリアの理髪師」アルマヴィーバの山路さん。分からないのは左側の男性で、どこかで見たことがあるような顔で暫く考え込んでしまった。場所はウィーンだと思う。
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 衣装から判断するとバルトロ役と思ったのですが、たまたまウィーン国立歌劇場の資料を山路さんを尊敬している若きテノール手宮西君に貸し出しているために(彼も聴きにきたので、山路家に紹介しました。)記憶を頼りに検索。共演したバス歌手の代表格といえばギャルロフやコレナだけれど、どのように工夫してメイクしても違う顔だから悩んでしまった。
 暫く考えて、この人タッディに似ているけれどバリトン歌手だからフィガロかな?(タッディと共演したプログラムのコピーを見た記憶はある。)それで検索したら、若いときの写真ばかり出てくるから明確な判断が難しい。でも冷静になり、眉毛・目・鼻等のパーツをメジャーで計測したらタッディに間違いないみたで、それで「ジュゼッペ・タッディだと思います」と返信メールした。
 その日の晩、僕はシュターツオーパーで「セヴィリアの理髪師」を観劇しているリアルな夢を見まして、それは山路さんやヴァイクルと一緒にタッディが一緒に出ている情景。ということは、どう考えてもヴァイクルがフィガロだから、タッディはバリトンなのにバルトロかな?速攻で起き上がりパソコンでプロフィールを確認した。
 タッディは1916年の生まれで、山路さんと共演したとしたら1980年頃は65歳くらいになっているから声も重くなってきていてバス役を演じていてもなんら不思議ではないと気がついたのです。
 この人は凄い人で、80代になっても現役を続け、その時期に来日していて名古屋で歌っているらしい。
 youtubeでも幾つか動画を観たのですが、年齢を重ねても素晴らしい歌唱で驚いてしまった。(93歳の時に亡くなっているとのこと。)
 「セビリア・・」のメンバー表を確認するまでは正確な情報もないのだけれど、今回山路さんのご自宅に行ったら「愛の妙薬」のポスターが貼られていて、ドゥルカマーラ役で出演してネモリーノの山路さんと共演していることが分かりました。(1973の表記は演出の年です。)このポスターにはソーナ・ガザリアンの名前もある。
 主役ネモリーノだなんて、山路さんは素晴らしい。
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  今回のメモリアルコンサートは、テノールの角田和弘さんと指揮の星出豊さんが中心となり、山路さんの高校恩師テノール歌手で三重オペラ協会の元会長の稲葉祐三先生の協力の下実現の運びとなりました。
 翌日、稲葉先生とゆっくりお話をすることができましたが、その話は後日。
 後から知りましたが東京から参加した有名な男性歌手陣と指揮者含め皆がノーギャラだったそうです。
 他界して25年目で、このような追悼公演が行われるのですから、山路芳久さんは偉大な歌手だったと認識を持たなくてはなりません。
 それから、このようなメッセージも寄せられていて、演奏会の前からジーンとしてしまった。
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 「心からの感動と記憶を残し、この世を去った仲間、山路芳久君に愛をこめて。」 レオ・ヌッチ
 
 
 
 
 ※夜になって、テノールの宮西君からメールがあり「セヴィリア・・」のメンバー表が添付されていた。
 本当にタッディがバルトロだったみたい。こういうの面白い。しかし、この日のフィガロはヴァイクルじゃないから超能力的な夢ではない。だいたい僕にそんな力は無いと思う。ちなみに1981年の公演とのこと。
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