お宝公開 その9 パトリス・シェローのサイン

 秋の演奏会チケットが色々と売られ始めている。
 ベルリンフィルウィーンフィルだけでも凄いと感じていましたが、デュダメルとハーディングでスカラ座ヤンソンスでコンセルトへボウ、アッバードでルツェルン祝祭、ヤルヴィのパリ管、そしてムーティ指揮でヴェルディのガラコンサートもある。
 しかし更に驚いたのは、ヴェローナオペラがゼッフィレルリ演出「アイーダ」を、なんと東京ドーム(9月17日から3日間)で行うという芸術的とはいえない馬鹿馬鹿しさ。こんなくだらない企画に興味もないし、誰が買うのか最高席が70,000円。ただ、この金額にドキリとしたのは、比較するのも失礼だけれど遂にクライバー「薔薇の騎士」65,000円を超えてしまった虚無な現実に気がついたこと。いつか誰かが超えると思っていたけれど、まさかそれがヴェローナだとは考えてもいなかった。でも、相反する意見みたいだけれど、僕は以前からある程度は高額で売られていても良いと思っていて、例えば20万円があってもいいからその代わり数千円の席を多くしてもらいたいという気持ち。
 主催が読売新聞社とオペラアイーダ実行委員会(実はKBSだから韓国のそれ)、後援J-WAVE、製作運営がウドー音楽事務所ってクラシック音楽じゃないみたい。単純にフジより読売が高額を提示しただけのような気がするけれど、前のほうの席に座ったら叶姉妹とかに会えるかもしれない。
 観に行って感動する人もいるでしょうし否定はしたくないけれど、僕が好ましく感じている音楽と同種と思われても困る。それでもアラーニャ、チェドリンス、ウルマーナが出演予定。つまりギャラがいいのだろうと想像する。
 直感だけれど・・・売れないと思う。そしてタダ券が出まわる気がする。
 
 どうでもいい話だけれど、VERONA=ヴェローナが正しい表記。しかしHPには「ベローナ」と書かれている。
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 Nan Goldinが書き続けた日記、彼女が集めた写真が、愛、死、祭り、病気、希望、絶望等、あらゆる人生の渦が、その世界観に共感したシェローが彼女にルーブルの「顔と体」において表現の可能性を追求することを依頼した。その様子をyoutubeで以前観たのですが、パスカル・グレゴリーの演技が衝撃的だった。
 シェローの考えは、来館者のひとりひとりが秘密にしていること、美術作品の中で、最も親密な思い出に関連付ける方法を目に見える形で表現。映画「インティマシー」と関連のある内容。これは興味深いテーマで、時間が作れればパリまで行ってみたかった。冷静になればなるほどに、今年のあらゆる演奏会や音楽祭よりもルーブルを優先順位の先頭に考えるべきだった。今だったらそれが分かるのはいつものこと。 
 
 実は、出どころは書けないけれど、1976年バイロイト音楽祭ニーベルングの指環」シェロー初演時の音源を入手することができました。これは貴重な資料で、例えば市販されているものではマンフレート・ユングジークフリートを演じているけれど、録音では「ジークフリート」ではルネ・コロ(若いって素晴らしい!)「神々の黄昏」ではジェス・トーマスである。長い間聴きたかった録音だからご提供いただいたⅩさんには感謝の気持ちでいっぱいなのです。そんなことで最近はこればかり聴いていた。極端な話、他のリングでは全く満足できないくらいに面白い。音だけだから舞台はその後に発表されたDVDを参考に想像するしかないけれど、優しさが欠落したような暴力的な男女の愛を歌い上げるジークムントとジークリンデに心奪われ、ウォータンとブリュンヒルデの苦悩に痛々しさを覚え、巨大な機械で剣を鍛えるジークフリートにいちいち感動してしまう。反資本主義の立場、そうとうに根深い憎悪と嫌悪。こいつは音楽というよりお芝居であり、バーナード・ショーは正しかったのだなと納得してしまう。初演時の衝撃はお客のブーイングでよく分かる。しかしながらシェローのリングは既に古典。それでも無価値な骨董ではない。
 
 
 
 
 
 ☆話が纏まりませんが、今日のお宝はこれです。
 パトリス・シェローの直筆サイン。怖いくらい神経質な表情、知性の塊のような人。僕はまだ10代だった。
 これを見るたびに、今与えられた課題に取り組まなければと自分に言い聞かせる。いつまでも生きているわけじゃないから思考し行動しなければ。
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