La Douleur

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              Wagner - Tristan und Isolde (complet - ST de-eng-it-esp-fr)
 
 
 ブログタイトルを変えました。
 夏頃から気がきいた題名はないかしらんと考えていたけれど、そのうち言葉が勝手にやってくるだろうと思考を止めた。前のは「マイスタージンガー」の親方歌手ザックスの台詞から引用していたが、偽善者みたいなそれに嫌気がさしていた。
 そして昨夜のこと、ベッドの中で天井を眺めていたら、突如として「La Douleur」が降りてきた。
 フランス語で「痛み」という意味ですが、マルグリット・デュラスの「苦悩La douleur」の印象が強いのは、本も読んでいるし、シェロー演出のブラン独り舞台を観ているから。
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 ただ今回に限っては、アンドレ・ド・リショーの同じタイトル「La Douleur」を読んだ17歳のカミュに大きな影響を与えていたという知識を得たことが大きいような気がしている。先日パリ管弦楽団を聴きにいった日がカミュの生誕100年だった偶然から、その辺の本ばかり読んでいて、洪水のような沢山の言葉の中にありながら何故か「Douleur」だけが消化されないまま残った感じ。
 不甲斐無いのは、僕はリショーを読んでいないことで、どうにかしなければと焦りに近い動揺。
 急がなければ人生時間がない。
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 今までは真剣に読んでいなかったデュラス苦悩の「あとがき」が面白くて、アンテルムの足取りの年月日に注目した。「1944年6月1日に政治犯としてゲシュタポに逮捕された」とある。その後彼方此方に移動させられ翌年からの地獄の日々は本に書かれているが、歴史的背景を調べてみたら、6月6日がノルマンディー上陸作戦、パリが開放されたのは8月25日、9月9日にはドゴールの臨時政権成立という流れ。
 カミュはこの年の6月に「誤解」をパリで初演(どうやって上演したのやら?)9月26日に「カリギュラ」が刊行。
 デュラスは戦争日記を忘却した。「フランソワ!」
 シェローが生まれたのがこの年の11月2日。こういうの面白い。
      
 どうでもいいが、この二人似ている。カミュは1960年に交通事故で他界したと認識しているけれど、KGBに殺された説が浮上したと何かで読んだ記憶がある。その後の話は聞かない。ドストエフスキー「悪霊」の翻案(1959)を残した。お墓はプロヴァンス。シェロー最後の大きな仕事「エレクトラ」もプロヴァンス。そして晩年ドストエフスキーを読み続けた。二人とも不安を抱え煙草を好み同じような呼吸をしていた。
 
 バイロイト音楽祭は「マイスタージンガー」だけ辛うじて上演され、翌年から中止。
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 以前書いたような気がするけれど、ベックリンの「死の島」に棺桶を載せた小船が静かに入江に近づく。  
 「トリスタンとイゾルデ」の第二幕で絵画の木々が壁の隙間から明確に見えてくる。(動画では2時間21分~愛の二重唱が高揚してくる箇所で夜明けが訪れる。)
                           
 英雄ジークフリートはトリスタンとなり死者の家に帰還した。
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  演出家には最初から生と死の狭間を行き来する己の姿が見えていたのでしょう。
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 自分としてはいいかげん悲しみから快復できると思っていたのですが、いまだにダメージが継続しています。
 肩こり、腰痛、不眠症、もうどうにでもなれという気分。
 来月トリノ歌劇場の「トスカ」を観にいくので、一つのきっかけになれば助かります。
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 癖のあるインド豆を一晩かけて氷出し珈琲にしました。