「ドライブ・マイ・カー」と「厚木からの長い道のり」と「閉じる目」

 「考える人」と「文芸春秋」を購入しました。
 村上春樹氏著の新作の短編「ドライブ・マイ・カー」と「厚木からの長い道のり」を読んでみた。
 「ドライブ・マイ・カー」には〈女のいない男たち〉というサブタイトルが付いている。これは文芸春秋
 文体はいわゆるいつもの村上さんで、緊張しないで読める雰囲気。正直「こんなもんか」と感じないわけではないけれど、それなりに楽しめる。
 「ドライブ・マイ・カー」というタイトルは、ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」A面の1曲目に収録されている曲と同じ名称だから、「巡礼の年」なんかもそうだったけれど、そういう題名の付けかたがお好きなのでしょう。ちなみに「ラバー・ソウル」の2曲目は「ノルウェイの森」である。ちょうどポール・マッカートニーも来日しているしタイムリーな感じがしました。お話の内容はビートルズの歌詞に近いというか、正確には違うけれど非常に似ている。
 普段クラシック音楽ばかり聴いているのだけれど、学生時代の友人でビートルズ好きがいて色々と録音してもらった経験があるから、たまたま「ラバー・ソウル」は知っていた。アルバムの中にあんまり好きな曲はない。
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 グレゴリオ・ザムザに変身している自分を発見した前回の短編もそうだけれど、村上氏の紡ぎだす登場人物のつぶやきのような会話が、どうも苦手である。
 「君には友達がいるの。」「私には友達はいません。」「どうして?」
 少なからず、僕の場合は、ここまで簡素な言葉のやり取りで物事は動かないから、どうしても違和感を覚える。
 ただ、どの本でも読むたびに気がつき感心するのは、会話のない、沈黙に向けられた主人公が饒舌に語る部分。人間て日常においてここまで思考しながら生活しているのかな。それが常識だとしたら若干不安になる。前の記事と同じことを繰り返すみたいだけれど、アメリカ文学の翻訳を読んでいるような気分になるのです。
 
 「厚木からの長い道のり」小澤征爾大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』 こっちは「考える人」
 これは勿論ノンフィクションで、9月の松本への道のりにこのようなエピソードがあったのか・・特に大西さんが生活の為に音楽と関係ないアルバイトまでしていた現実に驚いてしまった。全ては小田急本厚木駅近くのライヴハウスが始まりだったのだけれど、僕は仕事で年中本厚木に出掛けているから、細かな街の構造を知っていて、あのビルの汚く小さなライヴハウスに「小澤さんと大西さんと村上さんがいた」現実が信じられなくて、ごく近所で歴史が動いていたことにびっくりした。しかし厚木からスタートしたマラソンが松本に繋がっているとは誰も考えないでしょうし、こういうのは面白い。
 「考える人」秋号は、人を動かすスピーチが特集、興味深い内容ばかり。色々な人が寄稿していて一気に読んでしまった感じですが、時々読み返す種類の雑誌だと考えました。実は誰とは書きませんが、その人の文章を読んでいると「厚木からの長い道のり」が脳から消えてしまうインパクトがある。いい記事だと思った。
 
 ※ここのところ演奏会場で目を閉じて聴くことが増えました。当たり前だけれど、オペラや好きな演奏家の場合は別で、シェーファーなんか完全に見に行っていた。
 閉じるのには理由がある。
 オフの日に自宅で過していると、言葉で説明できないくらい強烈な睡魔に襲われることがあって、そのまま昼寝をすればいいのでしょうが、ソファーに腰掛けたまま起きているのか寝ているのか自分でも理解できない曖昧なコンディション(だいたい1~2時間で元の自分に帰れる)その間、テレビが点いていたり、音楽が鳴っていたりすると意識と別に脳の一部が覚醒しているみたいで、聴覚の副産物なのか、幻覚に近い夢となって現れる。これは明らかに自分はおかしい。ところが、苦しんだり魘されたりする確立は少なくて、だいたい8割の確立で快楽のような気がしていて、それに次々と新しいアイデアが出てくるもんだから悪くはないと思っている。
 しかし気を紛らす術もなにもないのは、トイレにも行けない状態(つまり我慢しながら夢を見る)だから、掛かりつけの医者が言うにはある種の鬱症状だそうです。でも仕事とか誰かと待ち合わせしている等の、社会的ルールを行使する場合は出てこないので目的意識があれば大丈夫です。
 つまり(笑)演奏会で目を閉じる作業なのですが、得体の知れない快楽を演奏会で試してみたら「どうなるのだろう?」が始まりだったのです。これにはメリットとデメリットがあって、悪い方は眠くなる可能性が高いということで、逆の場合は前列の人の頭が気にならないとか幾つかある。
 最初のうちはチケット代金の安いときだけ実験していたのは、何万も払っていて本当に寝てしまったら馬鹿みたいですから、それが怖かった。ところが秋に入ってからある程度コントロールできるようになってきて、もう狂っているとか何を思われてもいいのですが、ルプーとヤルヴィとハーディングで成功したのだった。
 これまで明確な表記を避けてきましたが、これはある種の幽体離脱みたいな気分で、聴覚がF席からS席に移動できるような奇妙な感覚なのです。
 信じるか、信じないかは、あなた次第。