著作権

 日本音楽著作権協会承諾でブログ上歌詞掲載が可能なるヤフーの案内を見た。神経質なわりに脳の機能が鈍いので説明を読んでも意味がわからない。ただ歌詞の仕組みについて音楽著作権協会とヤフーが話し合っていた現実が不思議で、最初から異なる次元と感じている自分が変のかな。もちろん対になった関係性であることは分かる。でもいちいち理由を知りたくないのは細かなシステムについて考えるって面倒。
 ※本好き学生に「君、この表現よりこの方が答えは早く導き出せるよ。」と教師が駄目出しする。少年は教師に学校に社会に絶望、授業を抜け出し草に寝転んで「空に吸われし十五の心」とか思う。教師だけじゃない誰もが言葉に刻まれた真相に興味を示さない。機能のみが遵守優先される世の中に少年は不必要という理屈。機能といえば知識不足のときWikiを見るが、ああいうのは参考程度にした方がいいのは間違いだらけだし、無駄を削がれたレポートみたいな文体に困惑。
 それにしても今日は寒い。地球温暖化?冷却化しているとしか思えないが、こういう日は焚火をして芋を焼きたくなる。今必要なのは二酸化炭素
 既に飛躍しすぎているけれど、以下ちょいと方向性の異なる話。
 歌詞を引用した記事を見かけることがある。僕も同じような文章を書くこともあるだろうけれど、法令に基づく50年云々を差し引いても「いかがなものか?」程度のリバウンドが生じる。誤解されると嫌なのは書きたい人は書けばいいですし拒んだり批判ではない。事実気づきも多い。しかし力不足ながら言葉を収入の糧にしている立場上、意見の一つでも言いたくなるということ。特にややこしいハプニングに巻き込まれたら、発信するのは自分の言葉だけで充分と思う。
 以前雑誌SP○の取材を受けたことがあって、名前と顔出しNGで受諾。ギャラは2万円(お弁当付き)後日読んでみたら随分言葉が捻じ曲げられ使用されていた。目の部分だけの黒横線は心霊写真の登場人物と同じで笑うしかない。元々辛口の本だから仕方がないと思いつつ、出版社は僕の平和な日常を悲劇的なものに変えてしまった。ふと思うのは、もし名前と顔が公開条件だったなら。
 S「10万円+松花堂弁当でいかがでしょうか?」
 J「馬鹿なこと言わないでください。」
 S「とっぱらいで50万円+懐石料理では・・」
 J「・・・汚れちまったかなしみに・・」
 人間とは恐ろしいもんで引き受けた可能性があるような気がする。そんなことを考えていたらこの本が届いた。「名曲のたのしみ 吉田秀和」全購入者特典1971年4月~2012年12月 放送全記録(学研パブリッシング
イメージ 1
 あくまで放送リストだから読む種類の本ではないけれど、面白い発見があちらこちらにある。
 例えば1994年(平成6年)新年最初の番組でショパンの3つのワルツ64・69・70をブーニンリパッティの演奏を交互に紹介している。ブーニンは1966年生まれだからこのとき20代後半で、リパッティにしても近い年齢での録音だろうから企画として興味深い。
 個人的な思いとして聴き比べというのがどうも苦手で、技術力ばかりにスポットが当たり、音質の良し悪しを気にする人も多く、音楽が不在になることが理由。それよりも互いに連絡のない2人がショパンを共有し同世代特有の孤独と儚さを見出す。このとき吉田先生はどのようなお話をされたのだろう。
 いつだって大切なのはそこから先にある。
 
 
 番組はモーツァルトK136で始まりベートーヴェンのスプリングソナタ第1楽章で終わったと知った。
 
 
 
 ※追伸
 広島出身のコピーライターでオペラ好き友人Tから電話があった。
 T「佐村河内が・・・知っているか!」 
 J「ニュースで見た。」
 T「そんな話ではない。更に凄いニュースだ。なんとワシと同じ高校だったのだ!」
 J「・・・えっ・・・」  暫し沈黙 
 J「あの人、外歩けないですね。」  
 T「大丈夫だよ。世間の雑音は聞こえないから。」
 
 さすがコピーライターだと思った。