世の中の仕組みを知り愕然

 行きつけの内科に出向き市役所から生活改善を促された旨を説明したところ、想像していた「覚悟」とは随分異なる話をされた。結論から書くと健康診断の血液検査は参考にする程度にとどめるべきだそうで、12月に採血した数値なんぞ夏から秋にかけてのものだからあてにならないとのこと。食生活の改善については「素晴らしい。健康とか不健康の話ではなく普段から誰もがそうすればいい。」
 この病院は都内某所。風変わりな先生だけれど信頼している。そうとうな名医だと気がつくときがある。
 「そんなことより今の状態を知りたいから血液検査しましょう。右手?左手?」→「左が希望だけれど、そういえば僕の血管が細く見えづらいとか言われ右に刺されたことがあります。」→「ああ、本当だ。でも問題ない。」
 それで驚いたのは「全く痛くない・・」→「コツがあるのです。と申しますか、鎌倉の病院が下手なだけ。では検査しておきます。とりあえず血の流れが良くなる薬を出しますが、もう血糖値ヘモグロビン元に戻っているような気もする。」→「短期間で下るものなのですか?」→先生は僕の血液の入った容器を見つめながら「簡単に下ります。だいたい学会の提示した数値がおかしい。あれが正しかったら、その辺歩いている人なんか次々とぶっ倒れる。つまり堀内さんは簡単に死なない。PCで検索して高額なサプリメントなんか購入しないように。あの手の企業に病人は治せない。じゃ来月。」
             《写真は関係ない鎌倉の日常。散歩していて御霊神社の手前から撮影》
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 次は薬局。ここにもベテランの薬剤師さんがいて処方箋を見るなり「もしかして市の健康診断で血液引っかかった?」→「いかにも。」→「検査したのはいつ頃?数値幾つって言われた?」→数値の説明及び「市役所に呼び出され医者に行けジムに行け食を改善しろと言われました。」→「あ、そう。市役所の言い分はだいたい当たっているけれど、その数値なら全部無視しても堀内さんは死なない。ただ糖質は取り過ぎないこと。」→「数分前に同じようなこと先生に言われました。」→「市役所がなんで大袈裟に言うかわかる?」→「えっ?もしかして・・」→「頭いいね。町ぐるみで大掛かりに健康診断開催して大きな病院であんまり能力のない医師看護師が対応。数ヶ月してから役所から危険と連絡が入る。市民慌てる。またその病院に行く。高額な薬を買わされる。市が潤う。役所とはそういうところ。」→愕然とした。→「糖質とはご飯とかのこと。ドンブリで何杯も食べては駄目。大切なのは普通に食べて動くこと。」→「例えば珈琲に砂糖は?」→「ナンセンス!」→「市役所は否定した。掛かりつけの内科に相談すると伝えたら、必ずまた来るように言われた。」→「役人が病気を治した事例は聞いたことがない。つまり行く必要はない。」
                     《写真は関係ない。江ノ電が通過しただけ》
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 とりあえず血液の正確な数値は次回判明するから、それはそれで良いけれど、ここ2~3週間の食生活改善により身体に変化が生じ始めていて、良いことだけれど最早引きかえせないコンディション。まず歩くことが苦にならない。そして体重が減量した。会った人だいたい皆「痩せました?」と言う。でもそれ以上に気がついていることは味覚に敏感になってきていることで、例えば塩分濃い目が完全にNG。考えてみたら巨大メンチカツにダラダラとソースをかけていたのだから、確実に不健康市民代表だったのだ。
 聴覚も似たようなものなのは、少し前まで「ブリュンヒルデの自己犠牲と終曲」だったのに、夕食時のBGMは「聴問僧の厳かな夕べの祈り」だから、なぜ我汝を呼ぶ主イエスキリストよなのか?なぜ羊は静かに草を食むのか?考えながら美味しいコンニャクを食べた。そして思う。コンニャクって誰が発明したのだろう。
 
 
 
 先生と薬剤師さんのお考えが全て正しいとは今の段階で判断は難しいが、ここまでの経験を踏まえ・・
 「騙されてはいけない社会の仕組み」とか「健康ダイエットを実現する為の5~6個のこと」程度の本は書けそうな気分である。
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                 《写真は極楽寺の奥まった場所に鎮座している月影地蔵》
 「いつもより 3% 投じる額は 多けれど 何が変わるか エイプリルフール」 字あまり