花見
気候穏やか、多くの人が鎌倉を訪れる。
桜の緑が目立たない微妙な季節に、比企が谷妙本寺の海棠が満開になる。
一仕事終えてから毎年の恒例行事は花見。珍しく一眼レフ片手に出掛けてみた。
手前はソメイヨシノ。本殿手前の濃い桃色が海棠。右上は山桜。
近くで眺めると、重なり合った沢山の花びらが青空に反射し独特の輝きを放っている。
しかし、良いのか悪いのか、これだけ人が多いと山の霊気も退散してしまうみたい。何年か前にたった独りの時間を過したときゾクッと背筋が凍りつくような怖さを感じたこともあった。
小林は鼻につくようなかっこいい「中原中也の思い出」を書き(昔は素晴らしい文章と思っていたが最悪だと思う今日この頃。詩的じゃない。いまや嫌いな文士代表。)中也は手帳に「誘われて見に行くも、たいしたことなし。」と記していたらしく、もう少し早い時期だったら詩の一つでも増えたのではないかと残念な気持ち。海棠の見ごろは数日、それもお天気や時刻に左右される。夜中がわりといい。
上記、たった独りと書いてしまいましたが、正確にいうとお寺を住処にしている猫がいて、不謹慎にも本殿階段部分に座りながら鑑賞していたら、どこからともなく現れて纏わりついてきた。今日いなかったのは人の多さに驚いて隠れていたのだと思う。あの時に怖いと感じた手続きの一つが猫の行動なのだけれど、いきなり誰もいない方向を向いて「シャー!」と言ったから。
方向を変えて撮影してみると、趣が異なって見える。
いきなり散歩に来ていた子犬が僕の足にしがみついてきた。直ぐに飼主に「駄目!」と怒られていたけれど、やたら小動物が近づいてくることが不思議でならない。先日長谷の郵便局ディスペンサーで振込み作業していたら、僕の後ろに犬が並んでいた。
アップで撮影。懸命に生きている様子が愛おしい。
本屋で立ち読みしてから帰路についた。
自宅到着直前にもう一枚撮影。 ここは玄関の直前で下の三角屋根は我借家。
山が崩れたら助からないと思う。
海棠と比較するのもおかしいけれど山桜のピンクまで染まらない白が美しいと思われた。
これ家の中からだと見えないので気がつかないまんまでいた。
なんとなく玉三郎の「鷺娘」を思い出したが、あれは冬景色だから吹雪き違いだけれど、心の中で共鳴する気分があった。
色といえば、金曜日のこと茅ヶ崎美術館に行ってきました。
恩師が描いた絵の展示があって(なんと小学校1年の担任)定年退職されて数年経過した先生が最近絵画教室に通われていて、今回ご案内を頂だいしたので久しぶりにお会いしてきました。
先生は僕の下手くそな「動物の謝肉祭」朗読を聴きに都内までお越しくださったのだった。
元々先生は書道の達人で芸術方面に造詣が深い。
それで作品なのですが、とても色彩感覚の豊かな表現と素直なタッチに痛く感動してしまった。風景画二点と静物画一点。どのようにしたらあのような表現が出来るのか、まだまだ自分は全然駄目というか、根本的に何かが間違っているように思われた。
日曜日は雨のようです。