ヤルヴィのブラームスとサロネンのグレの歌

 PCで音楽をあれこれ聴いていて無名な団体や指揮者が素晴らしい場合、かけがえのないお宝を発見した気持ちになれる。しかしながらワンランク上を歩むはパーヴォ・ヤルヴィだと思った。
 @パリ管弦楽団ブラームス・大学祝典序曲・Pf協奏曲1番・Sym1番は数日前のライヴ、しかも動画だから半分実演に接しているような気分。
  @そして、hrオーケストラ先月のライヴはヒラリー・ハーンブラームスVn協奏曲・ブルックナーSym3番。
 2つの演奏会は、全部が聴きなれた作品であるにもかかわらず脳のどこかに新しい刺激が注入されたみたいで眠気も吹き飛ぶ。
 まずパリでの演奏。マエストロが今後どのような形でブラームスを取り上げるのか分からないけれど、Symがhrではなくてパリで形成されるとしたら「当り!」かもしれないと感じたのは、個人主義丸出しの団体が名作において協調性を育んだときに歴史の常識とは別個の世界観なのは「これが本来のSymphonyだよ。」と説得された気分。
 パリのお客は拍手が早いな。
 ブラームスって一見ヒューマニズムの塊のような印象だけれど、僕は以前から管弦楽作品群の計算されつくされたバランス感覚に違和感を覚えていて、何故ここまで冷静に表現できたのか(生きられたのか)素朴な疑問とあいまって、作曲家は協調性の欠落した我侭で意地悪な性格ではないかと勝手に思い込んできた。
 当時の状況なんぞ知らないけれど、世間から「お前は古い!」と揶揄されようが「だからどうした!?」的な自信と図々しさがあって、あくまで個人的見解だけれど、時々やってくる映画音楽みたいな旋律からチラリホラリと綻び見えてくる。
 「人生なんぞこんなに美しくない」と僕は思う。ところがブラームスは≪人間は美しいものに惹かれる習性を持っている。≫と語りかけてくる。そして≪最近君はリストの管弦楽を聴いたか?≫・・「いいえ、聴いていません。」・・≪あのシンバルの強打は刺激的だが音楽ではない。それに100年も経過すればモーツァルトベートーヴェンも皆が同い年。リストなんかピアノ曲を除いて演奏されなくなる。ヴォルフやマーラー等の若い才能を叩きのめしたい。≫・・「嫌な性格。」・・≪私こそルールなのだよ。≫・・「ワグナーはその先を進んだ。」・・≪彼は異常だ。それにオペラは金が掛かる。≫・・「あなたは思考しなかった。」・・≪私は誰よりも学んだ。歴史が私を証明するだろう。≫・・「プライドの高い人間は経歴に拘る。」・・≪そんなことよりクララは美しい。≫ 
 以上は全て妄想で悪意はございません。それに僕はブラームスが好きである。
 「ヒラリー、今日の君は成熟した女性の音色を奏でた。」・・「パーヴォ!いつだってルールは私だからね!」
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 ところでヤルヴィはシューマンをピリオドチックに小編成のドイツ・カンマーで演奏している。実演に接したときあまりの素晴らしさに鳥肌が立ったっけ。DGのバーンスタイン&ウィーンPよ、さようなら。
 この人の面白いところは混沌とした同世代の音楽をオケをとっかえひっかえしながら表現するところ。もしかしたらシューマンは古典でブラームスはロマン派とでも考えているのかな?メンデルスゾーンはまだ聴いていないけれど、どのような形態なのか楽しみ。たぶんドイツ・カンマーだと思う。
 
 それからhrとのブルックナー3番が良かった。
 春の音楽とでも表現したい。ハイヴィジョンで撮影された木々の葉や花々の成長する様を速度をあげて再生している情景を眺めている雰囲気。清々しいのです。ちょうど一年前にマゼールで同曲を聴いていて、あの時は「慈愛に満ちた身近な宇宙で死ぬのも悪くない。」と意味不明な感想を抱きましたが、ヤルヴィは「地上の音楽」・・誰もが仕事と家庭を両立させ、「己とは何ぞや?」と自問自答している只中。ある日、そこそこの学歴を持っている無遅刻無欠勤で東八王子に35年ローンの新居を建てた真面目なサラリーマンが、誰にも告げずに姿を消した。家族は動揺した。警察に通報するも手がかりの一つも発見できず、仕方がなく超能力捜査官に依頼。彼はペンを走らせながら「複数の大きな電波塔が見える。大きな河川と小高い山。スコップ片手に洞穴を掘っている。可愛らしい小動物たちと自給自足の幸せな生活。ターゲットはそこにいる。」
 幾つかの影が重なり合い人は自然と融合。ブルックナーの3番は誰もが旅人であることを教えてくれる。
 
 ブラームスブルックナーはCDRに収めた。
 ふと思い出したのは、太宰治芥川賞を取り損ねたときの川端とのすったもんだ。
 川端は北條民雄いのちの初夜」に対して、いかに生くべきかを求め、私の心を動かしたと表現。
 それに対して「太宰は質の才・・作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあつた。」つ
 まり「質の才」と「魂の才」対比的に考察した。(一時期NHKのカルチャーラジオ「文学の世界」を聴いていたときのノートメモ参考。テキストは捨ててしまったかも。)
 音楽とは無縁ながら、質のブラームスに対して魂をブルックナーに置き換えて考えてしまった。
 ただ、感情は簡単に変化するもの。明日になれば逆さまかもしれない。
 
 
 
 
 しかしながら、一番驚いたのはなんといっても↓でございます。
 なんとも大袈裟で手に負えない作品。自宅で聴く必要がない音楽だけれど、あまりの凄さに「なんだこれは!」
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 旅人は靴を磨く。