ラジオの充実は喜び

 連休中の鎌倉は人だらけだった。普段なら駅→最寄のバス停まで10分~15分程度で到着できるのに、帰宅時渋滞で45分以上も掛かってしまった。満足に身動きがとれない混雑のバスは長谷近辺で9割以上の人員を吐出した。スカスカに変貌した車内の直ぐ横に町内のオバちゃんがいて「あら、こんにちは。祝日なのに仕事?」・・「少しだけ仕事です。」・・トンネルを抜けると日常の景色がやってくるのは混雑だけではなく些細なやり取りが日本語という安心感。大仏前まで僕の周りは中国語ばかりで、中にはスマホ片手に甲高い声でお喋りしているもんだから胃が痛くなる気分だった。文化の違いといえばそれまでですが、嫌悪を抱くのではなく寧ろ逞しいなと気がつかされるのは、数日前まで世界卓球選手権を放送していて男子は3位で女子は2位だから日本は強い部類なのに金メダルに君臨する中国の壁はかなり高く、差が縮んだとアナウンサーは言葉にしていたが贔屓目に見ても団体戦で勝つには百年くらい必要な気がしてならない。(僕は学生時代卓球部だったからこの季節になるとラケットを持ちたくなるのです。)
 テレ東が放送してくれるようになったのは大きな進歩だけれど、毎回思うのは地デジで日本戦しか取り上げないことへのストレス。PCなら見れたみたい。ただ習慣がないから後から知ることになった。こういうのはリアルタイムじゃなければ意味が無い。それと局とは関係ないかもしれないけれど観客の鳴物での応援は煩わしく感じられた。
 今大会で最も曲芸に近いプレーは福原さんの代役で出場した石垣さんの中国丁寧戦第4セットでやってきた。
 http://www.youtube.com/watch?v=1BmL0EQUtxM 動画開始6分辺りでの奇跡的な反撃・・思わず「ワァオ!」である。男子は更に凄いのですが。いずれにしても昔の卓球より進化している。
 
 
 
 暇なGWが過ぎ去り来週からそこそこ忙しくなるけれど、時間があるときに音楽の整理をしてみようってんで、長年放置状態のアナログやらPCに保存したまんまの音源をCDRに変換。興味の失せたものは躊躇せずに捨てる作業。面白いのはCDRに汚い字で例えば「でぃーすかう、ふゆのたび」なんて書いてあった場合、まったく有難みが感じられないけれど、綺麗に切り貼りしてみれば「もしかしたら売れるのではなかろうか?」と可笑しな方向の思考が働いたり(もちろん個人的な楽しみは超えない)その昔とても感動したはずの録音が聴くに堪えないものだったり、色々思う。つまりはっきり言ってしまうならば僕は気がついたのです。独り言だと思っていただいて構いませんが・・どうやら音楽は腐るのです。
 誤解が生じた場合の説明責任手続きが面倒なのですが、あくまで主観として「腐りやすい」ものと「腐りにくい」ものに分類されるように感じられる。
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 そんな昨今、やはりネットラジオが人生の楽しみの一つになっている。というのも日本で知られていない人たちの中に驚くほど斬新な解釈と技術を獲得している音楽家に直面するから。つまり上記の「腐」なる文字を賞味期限程度の感覚に置き換えて程々に解釈願いたい。
 以下、心動かされたものを幾つか紹介させていただきます。数ヶ月で聴くに耐えない音楽になっているかもしれませんが。
 
 ☆オッターヴィオダントーネ&アカデミア・ビザンティ-ナがムローヴァと昨年ルーマニアブカレストの図書館で演奏しているバッハ。フランスの放送局が凄いのはクラシック音楽の番組開始とは思えない斬新な切口。いつまでもNHK聴いている場合ではないというか、あんな国営放送局なくていいと思う。
 
 
 
 ☆ヘレヴェッヘシャンゼリゼ管弦楽団を指揮した今年3月の「天地創造」で、好みの問題は別にして混沌の後にやってくるハ長調のFって初演のときこのような鳴り方で恐らくこのように「ズレタ」のではなかろうかと想像してしまう。
 
 
 
 ☆アヴデーエワのリサイタルでシューベルトプロコフィエフシューマン、アンコールでショパン2曲という内容。演奏の素晴らしさは言うまでもないけれど(感動!)一番驚いたのは番組DJの存在で、ラテンのそれは中国人のスマホの比ではない騒々しさ。「早く音楽を・・」過呼吸になりそうな気分。この喋りは凄い。
 
 
 
 ☆フィルハーモニーZUIDNEDERLANDという知らない団体のラフマニノフP協奏曲と交響曲2番・・チョコレートにお砂糖をかけたみたいなプログラムで全部聴いていられないけれど演奏が上手いように思う。ここの局はPCを操作しやすいので楽しくてしかたがない。
 
 
 
 ☆ついでに2008年の録音ですが、好きなメゾソプラノのガランチャがヤンソンス&コンセルトヘボウとクリスマスに演奏したコンサート。これは動画もあるけれど、今日はラジオ紹介というこで結ばせていただきます。