睡眠薬を飲みます。

 数日視聴可能な「ホフマン物語」はマルターラー演出。
 忙しかった土日を潜り抜けた小生は巨匠モルティエ支配人の置土産を脱力しながら鑑賞したのだった。
 間違いなくマルターラーは正常ではないと思いつつ、こういう舞台を大真面目にやってのける環境を羨ましく感じる。
 舞台で社会を変えるなんて容易い仕事ではないと理解しつつ、批評家じみた感想をだらだら書く自分もどうかしていると最近思うようになってきた。
 グリモーが言うように「評論家になりたい子供はいない。ゆえに評論家は人生の落伍者である。」いかにも・・・
 自分が社会に求められる存在である自信も確信も持てないけれど、有難いことに仕事依頼があるのだから、ギリギリのところで人々との繋がりを維持しているように思う。
 先日の結婚披露宴司会、お子様がいるカップルで「家族3人で入場」微笑ましい情景をイメージしつつ、直前でしちゃってアタフタ。まさか「しちゃったから少々お待ちください。」なんて言えるはずもない。
 それでもユニークなハプニングに感謝は生きている証。なにも劇場に限らず、ここも舞台に他ならない。
 結果オシメ交換の時間分延長してお開きになったのだから、だいたい想定していた時間配分だったかな。
 ご祝儀が出た。「トゥララ、ラララー!」こういう部分がホフマン物語の最初のほうで歌われる。
 「ありがとうございます。」腰が痛くて満足にお辞儀ができない。
 帰宅時に馴染みの珈琲屋に寄ったのは、人の心で豆を買うため。
 「13日ぶりですね。」
 「いちいち計算するな。」
 「お疲れですね。」
 「腰が痛い。」
 「そういう時はボルタレンです。あれは麻薬的な効目です。」
 マンデリンとブラジルを購入。そのまま薬局でボルタレンを探す素直な俺。テープとローション形状は様々で、どれにしたら分からないから白衣の店員に相談。機械的な応対はオランピアみたい。
 豆と薬で人の心は消えた。
 
 
 
 
 ブログには拒否登録というシステムがある。
 意識して行使したのは何回目だろうか。名前を憶えているのは5人だけれど、少なくても20人以上はいると思う。神経質なのです。ただ今回に関しては人間関係が拗れたわけではなく当方の勝手な拒否反応。はっきり言うなら「自分の言葉」を書いていただきたい。版権の存在する他人の文章やwikiばかり、時には自分で詩作しろ。
 
 
 綿畑の孤独
 
 
 
 まだ早い話ですが、9月15日と来年5月16日に舞台で喋る予定。(とりあえず劇場)
 何を話せば良いのか、まだ全然考えていないというか、骨格ができていないものに対して思考するなんて無意味。
 ただ批評される側に立つことは生きる上で必要な手続き。
 過去の形を壊したい欲求が芽生え始めている。
 
 
 追伸・・村上春樹氏の短編集を買ったまま放置していたので読んでみた。
 社会は動かないどころか、個人的な感想も特にない。
 では睡眠薬を飲みます。