道徳的秩序に対する期待

 信頼+共感=友情?
 大雨の日曜日に無駄な柵を気にしなくても大丈夫な年上女性2人とカフェで語り合った。
 彼女達は道徳的秩序に対する期待を共有しあえる数少ない仲間であり大切にしたい友人。(何について語ったかは関係ないので割愛。)
 久しぶりだから表現が難しい。自我を獲得してからお仕舞までの時空に向けられた心の有様とでもいうか、いつまで生きられるのか分からないのに、長い道程の立ち居地を明確に体感した気分になれたのです。そいつは心理学での退行現象が逆さまになったような感覚で、意味不明な例えだけれど、昔の自分が未来を懐かしんでいて、誰もが遭遇する出会いや別れを経験し幾つかの面倒臭い社会的手続きやらをも掻い潜りやっとの思いで約束の場所に辿り着いた感じ・・こんなこと書く自分はもしかしたら狂っているのかもしれない。ただ満ち足りた人生に、どこかもう充分と完結した気持ちもなくはない。
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 台風が直撃した月曜日、防災用のスピーカーから何度も避難勧告のアナウンスが流れていた。時に聞き取れないレベルの豪雨。自宅の裏がいきなり山なので土砂崩れでもあったら大変と猫たちを山の反対側の部屋に閉じ込め「四つの最後の歌」をBGMに珈琲を飲んだ。
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 今日用事があって北鎌倉を歩いた。
 台風を乗り越えた金木犀は咽るほどの匂い。
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 トンネルの中は時間の速度が遅く感じられた。
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