神々の黄昏 ラトル&ウィーン国立歌劇場

 ウィーン国立歌劇場「神々の黄昏」動画が配信されています。
 Duration: 05:34:25"
 Production Year: 2015
 Stephen Gould - Siegfried
 Falk Struckmann - Hagen
 Evelyn Herlitzius - Brünnhilde
 Boaz Daniel - Gunther
 Caroline Wenborne - Gutrune
 Costumes: Marianne Glittenberg
 Décors: Rolf Glittenberg
 Direction musicale: Simon Rattle
 Mise en scène: Sven-Eric Bechtolf
 
 いわゆる現在最高のキャスティングである。
 前夜~二夜まで観ていないのでぶっつけでの黄昏だけれど、終始暗闇の中で構築された舞台演出に重苦しい気分を感じられないではいられない。役者の動きはあまりなく、半分演奏会形式のような印象で歌手は演じやすいと思うけれど、個人的にいかがなものか?程度のアンチテーゼを覚えてしまった。
 話題のラトルの指揮はオペラというよりシンフォニックな表現で若干ストレス。(歌手も楽器のような扱い?もう少し自由にさせる余白が欲しい。)それでも一定のラインをクリアーしているのでわざわざ文句を言うまでもない。ただ一幕ジークフリートブリュンヒルデの二重唱や二幕後半等の誰もが意識が高揚してくる聴かせどころではオケのボリュームが大きく「どうしてここまで大きな音を要求するのかな?」とは思いました。
 歌手はやはりEvelyn Herlitziusの存在が大きい。シェローの「エレクトラ」や昨年来日公演で聴いたクンドリーが決定的だったこともあり、視覚的に慣れるまで数分を要したけれど、この人は歌手以前に役者みたいで、動画だと全く違和感がないのに音だけを追いかけると美声とは言えないことは誰もが気がつくはず。それを最初に感じたのは何年か前のバイロイトでのブリュンヒルデ。可笑しな例えだけれど古のベーレンスなんかと比較した場合どちらがワーグナー的なのか判断できないが、歌えるか?無理なのか?ギリギリのところで思い切り声帯を開き己の限界に挑み高音を駆使するヘルリツィウスがより芸術的に思われてくる。
 Stephen Gouldも好演。感動まで行かないが僕には充分。もしかしたら調子が良かったのかもしれない。気のせいかもしれないけれど新国トリスタンの時より痩せたかな?
 そしてFalk Struckmannが素晴らしかった。ウォータンとアンフォルタスとザックスの印象が強く、ハーゲンは始めて聴いたけれど人格者から悪役まで幅広いダイナミックレンジに感服。独特の歌唱法は肉体の下の支えがしっかりしていて、なにより発声に引きがない。久しぶりに生で聴きたい憧れの歌手№1である。
 他にも色々と書きたい事があるのですが、最近ブログは早起きの朝に限られているので感情を極力抑制したい気持ちが優先される。
 それからオーケストラは、いわゆるウィーンのそれで見事な音楽を聴かせてくれる半面、徐々に管楽器のミスが目立ってきて、いくらラトルであっても半分は日常公演のそれが懐かしい。
 もしかしたら近々オーストリア旅行をするかもしれない。別に収録されるような舞台を鑑賞したいわけではなく、脱力しながら知人のいないカフェで過したいのです。


 ※追伸
 6月27日僕がナビゲータ(漫談)する演奏会。ソールドアウトしました。
 感謝申し上げます。