小山実稚恵さんのチャイコフスキー

 数ヶ月通院していた歯医者さんの治療が終わりました。
 変に気を使っていたのは予約前日の食事だったのですが、開放された優越感からニンニクを大量に入れてラーメンを食した。藤沢の松壱屋(http://www.matsuichiya.com/menu.html)で醤油豚骨のチャーシュー麺は「麺硬め・スープと油は普通」美味しかった。
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 昨夜FBを見ていたら某ブロ友FJさんが「21時からNHK小山実稚恵チャイコフスキー1番協奏曲を観てください。」のようなメッセージがあったので、尾高さんの指揮だしそういう時間も面白いかなと思い鑑賞してみました。     
 FJさんはかなりのファンで恐らく国内外問わず最も実稚恵さんに投資しているマニアの一人であると思う。
 個人的には小山さんの演奏はN響定期でなにかの協奏曲を聴いた経験しかなく、どのような演奏だったのか記憶も曖昧で、CDも持っていないしラジオ等でも特別に意識をしたことはない。
 それでチャイコフスキーなのですが、多少のミスタッチやテンポのズレはライヴならではのものだけれど、僕は良い演奏だと思った。普段この曲を聴くことは滅多にないのですが、たまたま冬にブロンフマンサロネンの実演に接していて、あとはパリの新しいホールのオープニングコンサートがネット配信されていて、あれはランラン&Pヤルヴィ。両方とも超絶技巧のパーフェクトな演奏で印象深かった。
 その音楽が昨夜のテレビでは全く別物のように感じられた。
 
 またラーメンが食べたくなってきたので、夜につづく。
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 ということで藤沢の「BONBA家」http://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140404/14059780/ アントニオ猪木の闘魂と書かれたサインがあるお店。2回続けて似たような醤油豚骨のチャーシュー麺ですが、これまた好ましいお味。麺硬め。外はやたら雨風が強く、あとから知ったのですが竜巻注意情報が出ていたらしい。
 
 続きのお話。
 小山実稚恵さんの演奏をテレビで聴きながら、女性原理の美学を見出した。
 ある種の理想、コンプリートcomplete「完全な」「完成した」「完結した」状態を求めながら、音符の一つ一つに「愛おしさ」を、そして自らも社会的に「愛されていたい」と願う精神性と肉体的調和が感じられる。
 ただし、強引な行為やら処世術とは異なる、もう少し混じりけのない感動を求めてやまない純化された日本的湿度が見えてくる。リズムのとり方など、まるでピンポン球を転がしたような正確な刻みかたで、それを理想に思わない人もいるとは思うけれど、コンクールで賞を獲得した時代と変わらない瑞々しさがある。つまり、紡ぎだされる音楽だけではなく、そのまま女性としての小山さん「永遠の少女」を愛おしく思う男性がいても何ら不思議ではないと気がついたのです。
 女性原理と男性のそれはなんら優位性もないがブロンフマンやランランには「愛されていたい的感動」(馬鹿な造語だな?)があまり感じられない。寧ろ「北斗の拳」よろしく闘争本能的な緊迫感。そこには少なからず湿度は少なく、寧ろ乾燥地帯の職人的気質、わかりやすく書くと合理的な秩序がある。
 (似たようなあれで文学の話になりますが、例えばノーベル賞作家なら、川端康成に対してフォークナーとガルシア・マルケスを比較したことがありました。)
 
 そこで考えてしまった。僕はどちらの方向が好きなのだろうか?
 好きな演奏家
 ピアニスト エレーヌ・グリモー
 バイオリン 最近はコパチンスカヤ
 その時のコンディションにもよるけれど、どう考えても男性原理に支配された変人女性演奏家ばかり。

 ところでSPACの神奈川公演、クロード・レジ演出 メーテルリンクの「室内」を購入しました。
 それと当たり前の事実に気がついたのだけれど、なるべく高額なオケやオペラはやめて安価で感動できそうな舞台を増やそうと考えています。先日のロレール、数日後のツィンマーマン、そしてレジ。全て合計してもバレンボイムブルックナー最安席より安いのです。
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