津市訪問

 忙しくしていたわけではないのですが、どうも集中力が持続できなく1ヶ月以上ブログ更新をしないまま過していました。
 今月頭の土日に三重県津市出身の名歌手故山路芳久氏のご実家訪問をしてまいりました。
 新幹線から近鉄に乗り換え。時間にゆとりがあったことからローカルな急行に乗車した。
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 津新町駅まで山路さん姉上が迎えに来てくださり、とりあえずお昼を食べようと美味しい食堂にご案内してくださった。
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 その後母上のところに訪問。ご高齢の母上がデイサービスを受けられていることは数年前から連絡があったのですが、高齢からくる短期の記憶忘却その葛藤の中にいて、一度会っておきたいと思ったのでした。僕のことを忘れているかもしれないと気になっていたのですが、「遠くからえらかったな。」と元気に声をかけてくださり安堵。「懐かしいでしょう?」と話しかけながら春に撮影してきたウィーンの写真をゆっくり見ていただいた。部屋に「セビリアの理髪師」のチラシも飾らせていただいた。
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今回はCDのお土産も用意していて、偶然発見した小澤&新日本のソリストで出演されていた「第九」と、昔のウィーン国立「椿姫」でキャスティングが曖昧なことから出演されていた確証はなかったのだけれど、何度聴いてもガストンはご本人にしか感じられないことから、皆に確認していただきたいと考えたのです。
 たまたまその日は近所の神社で夏祭り。
 施設の人たちと共に神社に向かいカキ氷を食べよう!ということになった。
 僕は高齢者の皆様から「背が高いのね。焼きそばも美味しいからね。それと、お歌を一緒に歌ってね。」何故か人気がある。しばらくしてから山路さんの高校時代恩師元三重オペラ協会会長の稲葉先生が「JH君、会いたかったですよ!」と相変わらずのダンディな装いで来てくださった。
 お祭りは盛大なもので、神前では本格的な「豊栄の舞」が披露され(ああ、ここは伊勢だった。)時間の経過と共に夜店も増え大勢の人たち。楽しそうな家族連れでかなり賑やか。
 ホームの年配者にも与えられた時間があり、皆が元気に合唱(なんと10曲!)
 最初のうちは後のほうで音楽を聴いていたのですが、代表の方が「今日は特別なお客様が来てくれています。鎌倉からお越しのJHさんと、オペラの稲葉先生です。(拍手・・ハズカシイ)せっかくだから前で歌ってください。」と専用の歌詞カードを手渡された。(歌の先生の横で歌うって、どうしよう。)
 僕がいくら人前で声を出すことに慣れているとはいっても、山路さんの先生と並んで「故郷」と「赤とんぼ」はプレッシャーであった。ふと気がついたのは「赤とんぼ」の時に空を見上げたら、沢山の赤とんぼが飛んでいたこと。お盆でもお彼岸でもなかったけれど、夏祭りに死者が参加しているのではと懐かしい気持ち。
 その後盆踊りが始まり(姉上は輪に入っていかれたが)僕と先生はベンチで焼き鳥やカキ氷を食べながら、オペラのお話に花が咲いた。音楽談義はいくら時間があっても足りない。

 夜になり、ご実家に行き、姉上と先生に問題のCDのガストンを聴いていただいた。
 グルベローヴァの歌う主人公にカレーラスアルフレードを紹介するガストン。僕は「この後の子音表現と母音の膨らませ方に特徴を見出しています。」と説明。その時先生が「これは山路の声だ。」姉上は目頭をおさえながら「そうや、よっちゃんや。」・・その後グルベローヴァの「花から花へ」まで我々は無言のまま、本来の悲劇がまだ美しく幸せだった時間を鑑賞した。
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 その日ホテルに宿泊も考えていたが、このまま実家でお休みくださいと提案され布団の準備をしてくださった。
 深夜どうしても眠ることができずに、照明の消えた仏間に独り座る。
 「芳久さん、霊でもいいから出てきてください。お話がしたいです。」
 その時、暗い部屋のどこかで何かが「カタリ」と音を立てた。やはり赤とんぼは山路さんだったのだろうか。
 翌朝は墓参。・・「また来ますね。まだ資料が埋もれていると思うので探してみます。そして今後のこともできる範囲内で努力する約束をします。」・・そしたらお花の水入れからアマガエルが出てきて僕に飛びついてきた。
 姉上が津駅までお送りくださり「近々また会いましょう。」
 皆さんが家族のように接してくださる。
 出会いは本当に不思議に感じられます

 その後、桑名駅下車。友人と約束。珈琲飲みに行きました。
 これもまた楽しい時間。実り多き2日間でした。