語りとラジオの話

 仕事の期間が若干空いてしまっていた。
 しかし来月にかけてバタバタとイベントが続く、しかも予め勉強が必要なものばかり。
 5~6年前までの教科書というか、文学・哲学書・短歌・俳句等から受けたインスピレーションを独自の解釈でノートに走書きして意識を高揚させていたが、ここ数年本を開くと文字の配列が図形のように感じられ時にその図形から原色に近い色彩が浮かび上がってきてしまう。(似たこと前にも書いたな)
 それぞれスタイルが異なるため(どれも大勢のゲストが集うこと。しかも目的意識の異なる人たちばかり)知識として理想的に脳に保存できるかと考えていました。
 前後するけれど、最近の僕のノートは誰にも理解できないような乱雑な文字やイラストみたいなもので、そのほうが意味や理性を呼びおこしやすくなったからともいえ、これまで正しい言葉で勝負してきたにもかかわらず、秩序以上にイマジネーションを優先させる手段を獲得しかかっているような気がし始めている。
 ただし全くもって自信がないのは本当に正しい道なのか無駄な作業なのかが不明。
 ブログに向かう時は調子が良いということ。
 ≪新しい試み≫と表現すれば美しいが、王道らしき方角からの眩しい光にさえぎられ、あえて陰の路地の先に解決策を見出している状況。
 元来何が正しいなんぞ誰にも解明できないでしょうし「社会に対しての疑いを持って」・・・ちょっと違うのは路地にしか入れない精神的な葛藤なのかもしれない。
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 先月のイベント、舞台上に飾られた「いけばな」は素晴らしく、お開き後も暫くのあいだ見つめていた。
 都庁の仕事はしばらく先なので、まだ何も考えない。
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 数日前は知人女性ナレーターも列席しているレセプション(ブッフェ)だった。
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 乾杯と同時にビールを一気に飲みほし、寿司とローストビーフカービングに群がる同業者。
 VIPも列席しているのにレセプションの意味が理解できていない様子。
 
 ところでバイロイト音楽祭の時期である。
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 パルジファルの3幕アンフォルタスが救われる箇所。
 初めはラジオで聴いていてあんまり関心を示せなかったが、動画で確認すればさほどの違和感はなかった。
 現在の問題を如実に表現した演出だけれど可もなく不可もなく。
 指揮者についてはあまり好きなタイプではなく多くを語りたくない。
 フォークトは見事な表題役を演じ歌いましたが、どこを輪切りにしても似たような印象で、幕を追うごとに変化していくパルジファル本来の成長を表現できていなかった印象。