ホリガー「スカルダネッリ・ツィクルス」を聴いてきました

 もう二週間経過してしまいましたが、ハインツ・ホリガーを聴いてきました。

 5/25(木)19時~初台のオペラシティ・コンサートホール
 指揮:ハインツ・ホリガー
フルート:フェリックス・レングリ
ラトヴィア放送合唱団
 (合唱指揮:カスパルス・プトニンシュ)
アンサンブル・ノマド
 ホリガー:「スカルダネッリ・ツィクルス」
 (1975-91、日本初演)[上演予定時間:約2時間半 休憩なし]
 Holliger: Scardanelli-Zyklus für Solo-Flöte, kleines Orchester, Tonband und gemischten Chor (1975-91) [Japanese premiere]
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 ホリガーが長年にわたり(1975~1991の15年間らしい)創作を続けてきたプロジェクトの集大成であり、ようやく日本初演ということ。
 ドイツの詩人フリードリヒ・ヘルダーリン(1770~1843)は精神を病み塔に幽閉され、亡くなるまでの36年間その塔の中で過した。そして詩作にあたり架空日時と「スカルダネッリ」の署名を加えた。周囲は本名のヘルダーリンを求めるも詩人は強く拒んだ。
 作品を読んだことがなかったため、プログラムの本文対訳を開演前にパラパラ捲る程度でしたが、美しく気高い内容にドキリとした。ゲオルゲに近い印象。感化されたのは逆かもしれないけれど。
 検索かけてみたらわりと手頃な金額で全集入手が可能でクリックしそうになったけれど、改めて原文と翻訳を比べてみれば韻律が大きな問題になっていることに気がつき、権威ある専門家の仕事であっても落差を是正することは不可能。考えてから判断します。例えば七五調とか日本特有の言語化は難しいのかな。 
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 ホリガーのそれは全21曲で構成されていて3サイクルからなる「春」「夏」「秋」「冬」合唱曲と挿入曲、そしてヘルダーリンのテキストと日時が読み上げられる。
 前日予め入手した音源をPCで聴き、テキスト(朗読)があまりにも素晴らしいからどのような役者さんが担当しているのだろう?などと想像していたら、なんと指揮台のホリガー自身だった!驚きました。
 ≪↑の写真参考・・「d.24Mai 1758」つまり5/24はコンサートの前日だから、仮に架空の日付であっても聴く側としてはハイネのIm wunderschönen Monat Mai,美しい五月・・当日夕方になってからは涼しげだった。そのままの意識でいいのだろうと考えた。≫
 https://www.youtube.com/watch?v=d1RJdsOgPT0  ←taken from the marvellous cycle of Scardanelli dedicated to the last Friedrich Hölderlin. Here "Winter III" in the recording of the first performance. 
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 ラッキーだったのは、ホリガーは左を向いて声を出すから反対側の席にしなくてよかった。
 スカルダネッリのテキストは譜面台横に置かれていて、マエストロは手に取り「読む」でも実際は読んじゃいなくて、完全丸暗記というかテキストを見ていなかった。
 仕事がら高尚ではないが似たようなこと何度かしたことがあって、僕の場合は社会に求められたありふれた課題をそつなくこなす意識が優先され、つまり詩じゃないことが大半だから、間違えてしまう頻度の高い暗記作業は完全にNGと考えている。MCの場合は人の名前や肩書き以外は原稿無しで自由にやっている。
 それでも舞台で朗読する場合は・・これは反省点だけれど全て暗記したことはない。
 弁明するなら、好きな作品でなかったことが大きな理由。
 お客さんの手前中身を知り尽くしているように演じた自分が嫌になる。
 「読む(黙読) → 好きになる → 読む(声に出して) → 暗記する → 繰り返す → その人の他の作品も読みたくなる → 作者の生き様にふれる → 言葉に血が通うようになる」
 自作実演は有意義で稀有なもの。
 書きたいことは沢山あったのですが、この程度でお開きにします。

 
 追伸
 実は2ヶ月間仕事をしないで過しています。社会に寄り添い肉体精神を酷使するは身体に悪い。
 カンブルラン指揮の「アッシジの聖フランチェスコ」購入しました。
 いま気がついたのだけれど、昨日6/6はフリードリヒ・ヘルダーリンの命日だそうです。