『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』

 映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』を(川喜多映画記念館)観に行きました。
 鶴岡八幡宮近くの川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡にあって、完成前はやたら長い木製の塀で中を見ることはできませんでしたが、現在は母屋邸宅を残し芝生の綺麗な庭園に隣接の小さな映画館。
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 10時30分~の上映開始。9時30分に家を出れば珈琲タイム含めてゆとりが普通でしたが、半分仙人(浮浪者)のような生活は世の中がGWということを知らずにいて、バスに40分、ラッシュの小町通りを歩き、映画館到着は10時33分。スクリーンでは宣伝が終わる直前、暗闇のなか席に移動した。
 ポルーニンに興味があったわけではないけれど、舞台観賞の禁断症状みたいな気持ちになっていたのです。
 実はブロ友さんに教えていただいたクロード・レジ演出の『夢と錯乱』Rêve et Folieが京都と静岡で上演されていて、チケットはキャンセル待ち、それ以前に遠方で予定が立たずパスした。そんなこんなで心の慰めに映画。
 ちなみに静岡のそれは「ふじのくに・せかい演劇祭」 http://festival-shizuoka.jp/ 仕事を忙しく入れていたころ、GWにプライベートな行動が不可能だったけれど、仮にこのままの未来なら、演目にもよりますが来年は出掛けてみるかもしれません。
 それで映画ですが、本人や関係者のインタヴューを織り交ぜたドキュメンタリー様式。テレビでいうならあまり好きじゃない「プロフェッショナル仕事の流儀」や「情熱大陸」に似ていた。わかりやすいがどこか胡散臭いのは作り込みが激しいからで、言葉の構成からいきなり跳躍シーン。しかもカメラアングルが床に近い位置だったり編集が過度。表現の自由と社会的信頼は必ずしも一致しない。たぶん逆が多いと思う。
 ダンスは断片ばかりだったけれど驚愕のテクニック。ただこの人の踊り全然感動しなかった。どうしてかな?ドキュメンタリーだから仕方ないけれど、役柄じゃなくてポルーニンしか見えてこなかった。恐らく映像の細かなカット割りまで演者のチェックがあって、つまり納得できない部分は削られ完全主義を装う。どこかでヌレエフの再来みたいな表記を読みましたが、晩年ジャンプ力が衰え病気と闘い、それでも踊り続けた巨匠との対比はいかがなものか。不都合な真実は暑苦しい。
 時々そういう指揮者や歌手もいて、誰とは書きませんが、その度にちょっと損した気分になるのです。