9月を振り返る
毎日のようにブログ発信したいと思いつつ身体の調子に波があり、何をしているのかわからないうちに無駄に時間だけが過ぎていく。それでもTWやFBなど考えないで生きている痕跡を残せるアイテムをちらほら利用。特にTWは地球上のあらゆる出来事がリアルタイムでやってくるので、脳の刺激になっているみたい。
しかし多くはどうでもいい内容でつぶやきだけならともかく、短文では不可能なのに知性をひけらかすような意味不明のものには苛立ちを覚える。別にTWとFBはいつでも止めていい気分だし、思えばインスタはとっくに無視している。なぜならば俗っぽく綺麗な写真に耐えられないから。泥臭い写真こそ真実。美しいそれは昭和の美容院にあったポスターみたいなもの。
最近は薬の影響から朝が調子良く、これはこれで問題だけれど、例えば夜中の1時に就寝しても5時過ぎには起きてしまう。日曜日の朝など日テレ「皇室日記」、Eテレ「宗教の時間」等、興味とは無関係だったのに充実したモーニング珈琲のお供。或いは裏庭で山の空気を吸い鳥や虫の音と過す。ただやたら彼岸花が咲いていて死が手招きしてるよう。それでも秋の虫の音は好ましい。
夏場の蝉に代表されるように最初はテンポがゆっくりなのに徐々に加速するはヤンソンスが指揮した「ファランドール」みたいで、しかも沢山鳴いているから気が狂いそうになる。秋のコオロギや鈴虫は同じテンポで心が和む。そして山からのシーンとした大気と風の音は、昔の音響技術者が「どうせ人間には聞こえないから20000Hz以上はカットしちゃえ」のCDとは対極のレコードみたいなもので、五感以外の安らぎが無感覚ではあるけれど、音となり霊気となり体内の何処かに入りこんでくる。誤解されると困るがレコードより演奏会の方が比較にならない感度。疲労伴えど掛けがえのない思い出として記憶に保存される。
FB情報ですが今夜以下の演奏会がロンドンで行われるとのこと。
Esa-Pekka Salonen conductor
Angela Denoke soprano
Wagner Götterdämmerung: Siegfried's Death and Funeral March
Schoenberg Erwartung
--interval--
Bruckner Symphony No. 6
急きょソプラノがデノケに代役になったとかで、もしこれが日本なら絶対聴きに行くのになと嫉妬を覚えた。
しかもPrices: £58 (premium); £45; £36; £28; £19; £12と記されている。国内の外来オケ演奏会は異常に高額なのです。サロネンの指揮でデノケでシェーンベルク『期待』だなんて絶対に東京で演奏されないだろうな。それにサロネンはブルックナー6番を得意にしている。近々サロネンは上海やソウルでバルトーク等を演奏する。しかし日本には来ない。
調子の良い日にこのままでは駄目だと食事に出かけた。
まずは川崎駅前で24日まで行われていたオクトバーフェスト。このビールが美味であった。このとき無性にアイスバインが食べたくなり、ブルストも注文したけれど不覚にも写真撮り忘れ。
ミュンヘンのまねっこで最近はこの手の企画があちこちであるみたい。
労働者アフター5的な人たちが多く、運営側が場を盛り上げようと舞台でドイツ人的なミュージシャンがホーフブロイハウスみたいな歌を披露していたが、微妙に(かなり)下手くそで何とも言えないしらけた空気が会場を支配していた。
翌週は鎌倉の腰越でランチ。限定25食とかで魚屋さんがそのまま経営している地魚海鮮丼(アフターご飯をたしてくれて金目鯛炙りのお茶漬け)これも素晴らしかった。
お茶漬けはお出汁が素晴らしい。旨味成分が体内に吸収されるとき、日本人に生まれて良かったと思えた。
驚いたのはこれ1000円。場所はあまり教えたくないけれど、江ノ電が道路上を走っているあの辺り。
美人3人姉妹がお店を切り盛りしているとの書き込みがあった。美女の定義は人それぞれと思いつつ、とても感じの良い店員さんで「近いからまた来ますね。」
海の方角に散歩すればお稲荷さんにバランス見事な彼岸花。咲いているというより咲かせている。
白秋を口ずさむ
ところで演奏会のチケットを2枚購入した。