夏PCで聴いたキリル・ペトレンコ

 夏場はウェブラジオばかり。どうせ用事もないからと、バイロイト音楽祭や他の幾つかは夜中の生中継を鑑賞したり、もの凄くいいかげんな生活をしておりました。
 ワーグナーに関しては7月バイエルンオペラでのペトレンコ指揮「パルジファル」からスイッチが入った。というのも歌手陣が現在最高と思われる人たちばかりだったから。まず初日はラジオ中継で、どのような舞台なのか想像しながら楽しんだ。演奏に文句が言える立場じゃないけれど、クンドリーのシュテンメにストレスを感じ、実演で同役を観た時はあまり気がつかないでいたが、正確なのにやたら淡白な歌唱にうんざりした。なんかエロティックじゃない雰囲気は、極端に例えるならまるでAI朗読を聴いている気分。
 パルジファルのカウフマンは見事でしたが、愚か者ではない前半で、マイスタージンガーでも最初から全てを学習した親方のように歌っていたことを思い出した。つまり2幕の「アンフォルタス!」から3幕ラストまでくらくらするほど素晴らしく、カウフマンがいる時代に生きていることを有難くそして誇らしく思った。
 パペは少し年とったかな?最大の収穫は過去ブログにも書きましたがゲアハーハーのアンフォルタスで、今まで体験したことのない痛みと苦しみが表現され、こちらが過呼吸になりそうだった。
 ペトレンコに関しては世間がどう感じたのかどうでもいいが、過去の偉人?のような無駄な自己主張が無く、全ての集中力は与えられた仕事、音楽のためにある。だから聴きながらマエストロの存在を忘れグラールを思い描く。
 でも、この人の鬼門は初日にあると過去の演奏から学んではいた。
 数日後(2日目か3日目の舞台)動画配信で演出を確認すればつまらなくてがっかり。音楽の細かな違いを指摘できるほど記憶は良くないけれど、纏まりのある仕上がりに思われた。
 
 その後はバイロイト音楽祭モード突入が恒例行事。
 くどくど書きたくないので端折りますが、個人的には「トリスタンとイゾルデ」と「さまよえるオランダ人」が夢中になれました。つまりティーレマンのトリスタンが良かった。何度か繰り返して聴くとSグールドが草臥れながら最後まで耐えたことに気がついた。音楽祭最後の方で歌えなくなり代役になったそうで、もしかしたら最初から調子が悪かったのかな。(ジークムントはひきうける必要なかったのでは・・)
 ビシュコフ指揮「パルジファル」の主役はシャーガー。声は出るが最初から最後まで愚か者的歌唱。もしかしたら馬鹿なのかもしれない。ジークフリートだったら合うのかな?
 Pジョルダン指揮の「マイスタージンガー」は素晴らしくて、夢中になり聴いていたのですが、3幕のラストでクレンツレのベックメッサーがよれよれ(確か歌詞をふっとばした)で歌えなくなり、現実世界に引き戻された。
 しかもフォークトのワルター「優勝の歌」ザックスのMフォッレ「マイスターを侮らず」まで・・どうにか歌いきったけれど非常に残念。考えてみたらドイツも猛暑だったそうで、劇場内は40度超えみたいなので、人間の限界表現なのかもしれません。
 あとは「ワルキューレ」と「ローエングリン」か。 ワルキューレは歌手が頑張った。指揮者はミーのハートにフィーリング的にマッチせず。奴を聖地から追い出せ。
 ローエングリンは恐らく史上最悪の演出で(意味不明)演奏を評価している書き込みは多かったけれど全く感動せず。
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 白鳥じゃなくてステルス戦闘機で登場する。吃驚した。
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 ひょっとしてニコラ・テスラの模倣かなと思った。
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 世界最大の力を持つ光と、役者に羽が付いているから昆虫(蛍)の微弱な対比。だからどうした?大切なのはいつもその先にある。



 そして、8月末からペトレンコがついにベルリンフィルと活動を始めた。新しい時代の始まり。
 以下の演奏会をPCで続けざまに鑑賞。

 2018年8月24日 ベルリンフィルハーモニー大ホール

 シュトラウス交響詩ドンファン
 シュトラウス死と変容
 ベートーヴェン交響曲第7番」
 8月25日 ベルリン・フンボルト・フォーラム 宮殿再建のためのチャリティ・コンサート
 屋外での演奏会。動画配信。大きな会場ではありませんが、あちこちにマイクがセットしてあったので、PAからの音声だったと思います。

 ポール・デュカス「舞踏詩ラ・ペリ用の”ファンファーレ”」
 ポール・デュカス「舞踏詩ラ・ペリ」
 プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」 Pf ユジャ・ワン
 フランツ・シュミット「交響曲第4番」
 8月30日 ルツェルン音楽祭
 
 ポール・デュカス「舞踏詩ラ・ペリ用の”ファンファーレ”」
 ポール・デュカス「舞踏詩ラ・ペリ」
 プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」 Pf ユジャ・ワン
 フランツ・シュミット「交響曲第4番」
 9月1日 BBCプロムス ロイヤルアルバートホール

 シュトラウス交響詩ドンファン
 シュトラウス死と変容
 ベートーヴェン交響曲第7番」
 9月2日BBCプロムス ロイヤルアルバートホール

 どれも素晴らしい演奏なのですが、興味深く感じたのは2番目のチャリティーコンサート。
 何故なら無料の動画配信だったので、団員さんの表情が見れたから。
 ドン・ファンでのマイヤーのソロは感動的。
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 パユはベートーヴェンで大活躍。
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 我らがダイシン。
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 マエストロ。
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 オープニングでは雨が降っていてお客さんはカッパを着ている。
 ところがベートーヴェンの後半から時々陽射しが音楽を包み、奏者もゲストもここに立ち会った全ての人々が喜びを感じている様子。フィルハーモニーのメンバーがニコニコ笑顔なのです。
 歴代の監督は誰もが無駄なインテリジェンス(知能・理解と情報)が音楽以外の部分に感じられていた。
 誤解が生じると嫌なのですが、個人的に彼らはインテリゲンチアだったと思われ、自分は知識階級に属していると妄想に近い意識が作品表現を邪魔していたように聴こえていた。
 ところがペトレンコはシャイな性格がそうさせるのか、インテリジェンスでありながら音楽に注がれる懸命な作業以外の要素が見えてこない。
 先ほど初日が鬼門と記しましたが、演奏会の完成度は日を追うごとに安定したものに進化していく。それは都度思考しキャストと同じ目線で協力している人間性の問題ではないでしょうか。
 デュカス プロコフィエフ シュミットのプログラムは春にも行われているので、全体的に安心感がありました。
 可笑しいのはユジャの協奏曲の第1楽章終わりで拍手が起きること。プロムスなら仕方が無いけれど、ルツェルンでも。たぶんマエストロはハプニングに対しても笑顔で受け入れているはず。
 そして今回最も楽しく心奪われた演奏は、書いていることと正反対だけれど<2018年8月24日 ベルリンフィルハーモニー大ホール>つまり初日でした。何故ならこんなにわくわくできた放送なんてあまり記憶にない。
 誰かの書き込みに「クライバーを超えた」とありました。僕は比較は好きじゃない。気持ちはなんとなく理解できるけれど、クライバークライバーでペトレンコじゃない。
 それでも共通項があるとしたら、人の力だけではなかなか到達できない「高い英知」を表現する術を獲得している(しようとしている)こと。現場での機知に富んだ対応力は過去のみならず未来にも反映する。
 雨が止み太陽が顔を出すもそういうこと。