アニバーサリー

 ブログを開くと何かしら宣伝があるのですが、今日は小澤征爾さんとムターさんの写真が出ていた。
 ≪ドイツ・グラモフォン創立120周年 Special Gala Concert Presented by 小澤征爾 & サイトウ・キネン・オーケストラ ドイツ・グラモフォンが世界中で開催するレーベル創立120周年を記念した夢の祭典≫とやたら大袈裟なタイトル。正直全く興味がなく、小澤&サイトウキネンのCDはデッカばかりのはずなのにグラモフォン?と余計なことを考えつつ、とりあえず出演者とプログラムは以下。

 2018年12月5日(水)19:00開演(18:00開場)

 ・チャイコフスキー:歌劇《エフゲニー・オネーギン》 作品24 ポロネーズ
 ・チャイコフスキー交響曲 第5番 ホ短調 作品64
【指揮:ディエゴ・マテウス

 ・J.S バッハ:ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042
 ・ベートーヴェン:ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス 第1番 ト長調 作品40
【ヴァイオリン独奏:アンネ=ゾフィー・ムター、指揮:ディエゴ・マテウス
 ・サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調 作品28
【ヴァイオリン独奏:アンネ=ゾフィー・ムター、指揮:小澤征爾

 VIP席(特典付):50,000円
S席:30,000円 / A席:25,000円 / B席:20,000円 / P席:15,000円
学生割引席(A席50席限定):10,000円

                                                                    
 やたら高額でずいぶん変なプログラムだなと思いつつ(チャイコフスキー5番の後にバッハって1時間位休憩時間がないと脳がリセットできないかも。)主軸はサントリーとグラモフォンの宣伝頁。少しお安いCD発売の一覧があったのでとりあえず眺めてみれば、買ったことはないけれど、いつかどこかで聴いてきた名盤らしきものが沢山並んでいた。それはカラヤンバーンスタイン中心なのですが、ドイツ・グラモフォン創立120周年に対しカラヤンが110年でバーンスタインが100年という無理やり3大アニバーサリー祭のような雰囲気。
 クラシック音楽の今後、例えば100年後にどのように進化或いは衰退しているのかわからないけれど、記念に乗じて古い時代の企画CDを売りだしたり、価値に比例しているのか理解できないチケット代金を観察しながら、この手の宣伝がまだ世間に通用するのかと疑問を感じた。
 本当に小澤芸術をリスペクトされている人は聴きにいかれるのでしょう。それはそれで素晴らしいこと。
 でも僕にはもう関係ない。こういう世界はうんざり。招待券もらっても行かない。

 その昔、それこそサントリーホールが完成した頃は、知識もなかったけれど、明るい未来を信じて一生懸命音楽を聴き、毎週日曜日に欠かさず教会に通う信徒のようだった。
 もちろん聴いてよかったとは思うけれど、半分は騙された印象もなくはない。
 サイトの中にホールオープニングからのアーカイブが紹介されていて、恐ろしいことにほぼ毎月何かしら聴きに出掛けていた現実。どれだけお金をつかったのだろう。
 そんななか、読売日本交響楽団 の年末「第九」 チラシに目がとまりました。

   ベートーヴェン[第九]  公演日:1988年12月20日 
  指揮:ジークフリート・クルツ  ソプラノ:松本美和子  アルト:西明美  テノール:小林一男  バリトン:勝部太  合唱:武蔵野音楽大学  オーケストラ:読売日本交響楽団
                                                               
 ↑を見ていただければ分かるのですが、この日のテノール小林一男さんは代役なのです。当時は日本トップクラスの小林さんが何故?と思われる人もいるでしょうが、チラシには写真つきで山路芳久さんの名前が記されている。山路さんはこの前日12月19日に亡くなったのです。38歳。
 以前三重のご実家でご家族から教えていただいたことは、日本中のホールがどこも「第九」だらけで最も有能な独りが欠けたことで音楽事務所大混乱。翌日開演前までに団体のクオリティにあわせ代役テナーをブッキングしなければならなくなった。都内の第九はほぼ全てテナーは入れ替わったとのこと。
 気になる情報は調べる。山路さんは夜に亡くなったとされているが、僕は夕方17時過ぎだと思っている。根拠は明確ではないが、謎めいたその日の空白を家族やお弟子さんから取材して、パズルのピースを埋めるように確認し導き出した時間。
 そして信じていただけないかもしれないけれど、今から7~8年前に夢の中で僕は山路さんと話をした。
 場所は近鉄津新町駅近くの喫茶店。窓際奥のテーブルで私たちは向かい合った。
 その時「僕は17時か18時かわからないけれど、12月19日の夕方に死んだ。前の晩に池袋で食事していたら息が苦しくなってこりゃまずいかもって思った(笑)」そしてポケットから赤いマルボロを取り出した。「煙草吸うんですか?」・・「うん、オヤジには内緒。でもばれてるかもな?」左手で珈琲カップを持ち、窓辺からさし込んできた陽射しを眩しそうにもう片方の手で遮るジェスチャーをした。ホット珈琲はブラック。長く話したように記憶しているけれど、今の話と別れ際しか思い出せない。
 僕は電車に乗り帰らくてはならない。ホームの脇に金属製の柵があって、その向こうから「また会おうね。オペラの話しようね。必ずね。」・・「次はいつ会えますか?」・・「○○頃かな」・・「えっ!聴こえません。」・・「たぶん7月!」・・「わかりました。7月ですね。」
 電車が動き出すと同時に手を振る山路さんと周囲の風景は霧のように消えた。
 夢はそこまで。7月の意味は不明。ただ没後25周年演奏会は7月に行われた。でもそのこととは異なるように思える。何故なら我々はオペラの話をしていない。
 
 後日命日にあわせ訪問。仏間がお花で埋まる。
 だからそれまでは珈琲を持参していたが、赤いマルボロも買って行った。
 母上が「その煙草、芳久のと同じや。」・・「お供えしようかと思いまして。」・・「そんなことまで話したやろか?」・・夕方お姉様が会いにきてくれた。そこで夢の話。
 マルボロの赤を父に内緒で吸っていて、左利きで、目を細くして伸びたセーターで陽射しを避ける癖。
 涙目のお姉様が「それはヨッちゃんや。」と言葉にした。
   
 今年は没後30年。
 予定が合えばお墓参りをしたい。