忘れたい記憶、忘れた記憶、思い出した記憶。懐かしい記憶。

 今年に入りどうにもこうにも体調が悪く、寝ているのだか起きているのだか判断できないことが多い。
 「それが疲れて来ると、字義どおりの消日になった」は志賀直哉暗夜行路」
 何も考えずに時間だけが経過していくような意味と認識していたが、どうやらその先があるらしい。
 些細な日常に突如として起こる過失のために苦悩を抱え、人によってまちまちだろうけれど、忘れる努力をし忘れていたいにもかかわらず、忘却の彼方から突然やってくる。

 中学生時代に卓球部に所属していた。本当は水泳部に入りたかったが公立の新設校だったこともあり、プールが完成したのは翌年。少しばかり強くなってしまったことで既に卓球をやめられない状況になっていた。
 小学生の時にスイミングクラブに通っていて、たいして運動神経が良いわけでもなかったが、毎週練習していれば実力がつくもので、恐らく学校内で一番速く泳ぐことができた。
 そのあたりのことは関係ないが、中学卓球部3年で主将になった。最終的な戦績は、団体戦で神奈川県1位、関東大会2位、全国大会ベスト8で優秀校として表彰された。複数の私立の高校から推薦入学の打診があり、それが良いのか悪いのか、試験を受けて入学する認識でいた受験は極端な話で仮にテストが0点であっても入学可能な道があることを知った。今では愛ちゃん人気以降様々なシステムが完成して中国に勝てる可能性を持った優秀な若手人材が豊富であるが、当時は秋の新人戦と夏の総体。国体。そして上位に選ばれた強い選手が県の強化リーグで戦うシステム程度。最後の夏の大会後強化リーグで全勝優勝したことが、最大の成果だったかもしれない。
 先日のこと、当時ダブルスでパートナーを組んでいた仲間とFBで繋がった。
 彼は高校も大学も卓球を続けていたが、中学時代の記録が最も優れた戦績だったこともあり、当時の出来事を鮮明に記憶していた。僕が忘れていたことも憶えていた。
 大切な仲間なのですが、それがきっかけで嫌な出来事を沢山思い出してしまった。
 まず顧問の先生がいわゆる暴力教師で練習や大会の度に殴られていたこと。ラケットで殴られ、ラケットが割れたこともあった。しかも担任だったから始終重荷を背負っているいるような気持ちから避けられない状況。
 退部するが普通であり、今なら顧問は教師をクビになったであろう。
 後から知ったことだが、進学のコネクションに力があったことから、部活の仲間に限らずクラスの友人たちも我慢しながらアクションを起こさずにいた。進学が成功すれば生徒の親からお礼が渡される仕組み。最低10万円程度だったと想像する。退部すれば平気で成績を落とす性格という噂も流れた。
他の尊敬していた先生に相談したこともあったが解決できない。皆自分のことしか考えない。1つあってはならない教師陣の弱みを知り、ある種のはったりだが「教育委員会とマスコミにリークする。」と伝えたら「もうそれ以上責めないでほしい。謝罪する。だけど明日は修学旅行だから気持ちを切り替えて楽しんでほしい。」…「僕は行かないですよ。論理的会話が通じない暴力ばかりの担任顧問に管理され楽しめるとしたら、失礼ながら次元の低い発言であり、先生は生徒の気持ちを理解できていない。しかもあのジジイは女子更衣室のぞきの常習者で、放課後は女子トイレしか使わない変態。警察に電話してみようかな。」数秒後「でも旅行の準備しているのだろ?」→「だから行くつもりもないのに、しているはずないでしょう。」→「嫌いな顧問の先生だとは誰もがわかっている。でもそれだけの理由で一生に一度の修学旅行に行かないのは勿体ない。これからは協力する。許してほしい。」→「そこまでおっしゃっていただけるなら、一生に一度の思い出作りしてもいいけれど。」→「いちいち腹立つな!お前いいかげんにしろ。旅行は必ず来るな?」→「行きます。失言をお許しください。」
その数ヶ月後校長宅まで直訴に出掛けたが「申し訳ない。なにもできない。」と最終的に校長は号泣し始めた。
胡散臭さを感じ取り他のレギュラーが希望している最強高校の進学は止めると決めた。
 父親は部活後援会の会長職を任されていたので、金銭問題と暴力がさらけ出され「息子を転校させたい」と学校に言ってしまった。そしたら態度が急変して「彼がいなければ全国1位を狙えない。」と寛容な演技をした。翌日「お前の両親が馬鹿だから」と脅された。僕はその晩に転校先を考え、ライバルの3校を候補として導き出した。ある種の矛盾。自分のチームに勝ちたい欲求。

 しかし僕が転校退部しなかった理由は3つあった。
 ①今後入学してくる後輩たちを含め暴力による身体的な被害が心配で意見が言える立場でありたかったから。主将になっていたことで同義的責任が発生する誤解を恐れたことも事実であるが(もちろん後輩に手をあげたことはない。)どういうわけだか後輩に好かれていた。事実数年後事件は起きた。3年下の後輩が顔面を殴られ、片目の視力が極度に低下した。1・5と0・01の違いくらい。それが裁判になり会ったこともない数名の後輩から電話相談があり、いつしか纏め役みたいな存在になってしまった。毎回裁判を傍聴したが、日本一を目指したレギュラーは誰も来なかった。思い返せば1年、2年、3年下のスポーツ進学連中も来なかった。何か弱みを握られている疑いを持った。学校関係者すら来ない状況。とにかく傍聴者を増やす努力をした。
裁判所での「私は暴力には反対です。生徒を殴るなんてあり得ないです。」と発言。悲しい人だと思った。
被害者のご両親には感謝された。
「強かった時代の先輩たちが良い人ばかり」と言ってくださったが、そんなことはなく真実を知りたい気持ちと自分だって同じ立場になる可能性があったのだから。

 ②練習試合や大会で知り合ったライバルの存在。皆が僕に勝とうと必死に工夫していることが対戦すれば理解できた。彼らは裏切れない。大人になれば人間の欲にまみれた世界がどうしても広がる。ピュアな精神で戦える最後のチャンスだけは全うしたかった。高校になれば勝つために日本中から選手を集める。甲子園がいい例で毎回同じ学校が出場する。

 ③恥ずかしい話だけれど、他校の女子選手を好きになってしまった。そう強い選手じゃなかった。美人か?僕にはそう見えた。優しい人柄。ピュアな精神はいいけれど何もできない。話かけられない。
 でも「次はいよいよ予選だね。来週頑張ろうね。」と別れ際に声をかけられた。彼女の自転車後姿を追いかけていたら、いままで感じたことのない不安が全身を包み、僕は校舎のトイレに駆け込んだ。忘れていたことの1つ目はこのこと。人生初のパニック障害だった。汚いトイレの床に倒れ込み呼吸が荒くなり、死ぬのではないかとおもった。それで思い出したが中間だか期末試験で、お腹が痛くなったりパニック障害になり退室したこともあった。当然その課目は白紙で提出することになる。

実はもう1つ理由があって、これは父親の権威に関係することだから書くことはできない。
 地区予選は通過。県央地区の予選も通過。
 最後の夏の大会、団体戦だけじゃない。個人戦もある。僕はエースではなかったけれど神奈川県の優勝を狙っていた。ただ予選の決勝で同チームのエースに反則させられて(世渡りの上手な奴)2位での通過。セットの合間に相手が体育館から出てインターバル。ユニホームを着替えて戻ってきた。明らかに反則行為に流れが変わってしまった。その時例の彼女がわからないように僕の近くを歩き耳元で「大丈夫。作戦Aよ。」と囁いた。作戦A?意味等ない(笑)ただ嬉しかった。・・顧問は同じチーム同士の決勝なんて興味がないらしく「いつまでやっているんだ!さっさと終わらせろ!」酷い話だと思いませんか(笑)
 彼の反則は理解できた。
 県大会2位通過では川崎1位の強い選手と同じブロックになってしまう。彼は極端に強く実業団ともの凄い打ち合いができるレベルだった。僕は勝ち進み彼と試合をすることになった。試合の間コーチと顧問が叫び続け「なにやってる馬鹿やろう!」(あれは応援じゃない)長い試合になり、大きな体育館は僕たちの試合だけ。館内中から注目されているとわかった。フルセットのギリギリの試合は奇跡的に勝った。顧問が出てきて大喜びで握手。今でも勝てたのが不思議。勝てば普通はテンションが上がるが、そのあとに観客席のざわつきが鼓膜に大きく響きだして「まずい、あの時と同じ症状だ。」慌てて誰もいない場所を探し出し10分程度?加呼吸が続いた。・・その後準々決勝。ベスト4に入れば個人でも全国大会。一度も負けたことの無い相手。でもいつも本気で挑んでくる男らしいライバル。どうにも対処できなくて負けた。顧問とコーチにボコボコに殴られた。悔しかったけれど、何故か清々しく体育館の窓から見えた空が美しく感じられた。知らない学校の女子選手が涙を浮かべて「関東大会頑張ってください。」こんな僕にもファンがいたんだな。「ありがとうございます。」
 
 引退後、好きになってしまった彼女から何度か電話があった。最初は「今度の日曜日体育祭なの。私たちの学校はブレザーでしょう。実は応援団任されちゃって、学ラン貸してくれないかな。」だった。でも本当に馬鹿だったのは好きと言えなかったこと。卓球やりすぎて女の子に思っていることが言えない勇気のない中学生。
その後、大人になってから一度彼女に会った。綺麗になっていた。「結婚が決まった。」と報告を受けた。「H君とはタイミングが合わなかった。ごめんなさい。」と言われた。一度も告白していないのに全部わかっていたんだな。
 負けたライバルにも一度ばったり会った。「実力差もあって有名だったのに、僕は勝ってしまった。申し訳ない気持ちになっていた。」→「そんなことはないよ。負けて感謝している。」と話した。フラれた話もしたかも「あいつに?よくそんな気持ちになったね。」理由なんかない。社会に出ると仲よしになる女性と知り合ってしまうが、2年くらい引きずっていたから、その期間の記憶は曖昧なまま。
 実は先日メッセンジャーでライバルを発見し連絡してみた。普段友情をあまり信じていないけれど、彼に関しては友人であり恩人。本気でピュアな戦いができた最後の相手。もし勝っていたら、進学もスポーツでの強いどこかだったと思う。数回のやり取りで何故か思い出したい出来事だけが蘇る。
 驚いたことに3年くらい前から彼も僕を探していたそうです。
 
 今度の日曜日32年ぶりの再会が決まった。