追悼ドナルド・キーン アンドレ・プレヴィン

 今年に入り何かを書こうとすると誰かが亡くなる。
 書こうとしていたテーマがどうでもよくなり、命について考えさせられ意識が収縮。
 気がつけば新聞の訃報欄のようなブログになっている。
 キーンさんとプレヴィンさんには共通点がある。

 キーンさんはロシア系ユダヤ人でアメリカ国籍であったが、3.11の震災後に日本国籍を取得する意思を示し、晩年は日本人として生きた。日本人として生涯を終えた研究家といえばエドワード・ジョージ・サイデンステッカーもそうだったけれど、彼ら無くして川端康成三島由紀夫・阿部公房・・極論を言えばキーンさん無くして「源氏物語」が世界で愛読されることはなかっただろう。
 川端氏のインタヴューで「ノーベル賞っていったって翻訳家なくしてはありえないから、半分もらったようなもので。」みたいな発言。「いやいや先生、そう思われては困ります。」と三島さん。「さようでございますね。」と伊藤整さん。
 最近人生の「成功」とはどういうことかと考える。
 いい大学を出て、いい会社である程度の地位に上りつめ、ローンでも一戸建住宅、美人の奥様がいて、一姫二太郎、安定収入。確かに大きな幸せがそこにある。
 ≪それで思い出したどうでもいい話。結婚披露宴の司会をしていた時に、主賓というか会社上司の祝辞で「昔から一姫二太郎三茄子といいますが。」って、我慢できないほど可笑しくて死にそうになったことがある。ついでにもう一つ「太郎さん、花子さん、この度は明けましておめでとうございます。」乾杯前の奇妙な緊張感で笑うことは許されない日本特有の文化でのハプニングにゲストは肩を揺らしながら必死に堪えている。あの人は翌日から「お正月」とニックネームになっただろうな。≫
 とか、事業に成功したオーナー。つまり僕が考えているのは、富裕層=成功と考えていいのかな?なのです。
 そりゃお金があるほうが良いけれど、サイデンステッカーさんは湯島の居酒屋で湯豆腐を食し「豆腐はいいですね。」
 キーンさんはオペラがお好きだったようで、数回劇場で見かけていて、なんともいえない控えめながら上質なチェック柄のジャケットで知人とロビーで談笑されている姿が好ましく感じられた。慎ましやかな立ち居振る舞いは日本人より日本的。ただ最後まで日本語のイントネーションはアメリカ的だったな。もう探してもいない寂しさ。

 テレビでZ○Z○のトップや(○にしても同じになってしまいました。)脱税青汁人を見て「君たちはどこに行こうとしているの?」と思う。どっか海外のオペラハウスのボックス席で普段聴かないRシュトラウスを我慢しながら鑑賞する可能性は無きにしもあらずだけれど、湯島で豆腐の意味は理解できないと、失礼ながら顔を見りゃ分かる。

イメージ 1


 それでプレヴィンさんですが、本名をAndreas Ludwig Priwinといい、たしかフランス系のユダヤ人の家系である。ユダヤ人であることが結果幸いなことにアメリカ人として音楽能力を開花させた。共通点とは移民ということ。
 戦争でアメリカに救われた芸術家は大勢いるけれど、吉田秀和さん曰く「半分救われた。」思っていてもなかなか言葉にしにくい微妙な感覚。
 そんななかプレヴィンはアメリカ文化に肌が合ったのか、とんでもない大きな仕事を次々と成し遂げ、人々は移民であることを忘れた。半分でもない。救われたのでもない。つまり「アメリカを全部救った」のです。
 かといってハンバーガーというより、フランス料理が似合う紳士である。
 
 かつて横浜桜木町と日の出町の中間地点にあるジャズ喫茶に行ったことがある。
 気合いをいれて珈琲を煎れている雰囲気を感じて入店したのだが、これみよがしにやたら高額臭のするオーディオが鎮座していて、ドリンクメニューと一緒にレコードメニューをわたされた。
 僕は「お願いだからほっといてほしい。」性格なのに「ブレンド珈琲かしこまりました。音楽はいかがいたしましょうか?」(ジャズなんか知らねえし~)しかし、その時天上世界からミューズが心に語りかけてきて「プレヴィンよ。」「おお、そういう方法があったか。」
 髭で眼鏡の店長に「プレヴィンがピアノ弾いているトリオのマイフェアレディありますか?」・・「かしこまりました。」楽しい音楽。
 
 演奏会も(クラシック音楽の指揮者として、ピアノも)数回聴くことができた。
 諏訪内晶子さんとのショスタコーヴィッチVn協奏曲。あれは名演だった。
 ラフマニノフの2番Symはあまり好きな表現ではなかった。
 なんでもいい、いつも安い席だったけれど人生が豊かになれた。
 R・I・P
 
 
 ※ところでブログ問題。
 気が向くまでヤフーに痕跡を残し、HATENAブログに移行させていただきます。