寺山修二氏三十七回忌法要
本日12時予約していたアレルギーの病院は鎌倉駅から徒歩1分。
GWに入ってから観光客の多さを恐れて駅には近づかないようにしていましたが、薬が切れてはどうにもならない。それに4月半ばから痒みが悪化。薬が増えた。
帰りのバスの混雑が凄くおまけに渋滞。普段は駅から自宅まで20分もあれば帰れるのに、60分も掛かってしまった。
自宅は観光地の少し先にあるので、乗客の大半は長谷観音か大仏前で下車しバス内はガラガラになるも途中で息苦しくなってしまい「困ったな」それでもどうにか我慢しながら自宅に辿り着いた。
もう一つの病院の薬は減らす作業を試みていますが、どうやらアレルギー薬との相性が悪く、昼だか夜だかわからなくなり、日中は5~6回意識が混濁する。寝ているのか起きているのか曖昧だけれど睡眠の部類に所属するのか、深夜睡眠導入剤を飲んでも夜明け前に覚醒。仕方がないから、顔を洗い歯を磨き珈琲を煎れ、いわゆる朝の作業を始める毎日。そんなことから日テレ「皇室日記」が日曜日の定番になっている。
やたら丁寧にMCを務める有名女性アナの喋り方に奇妙な抑揚があってどうにもこうにも具合が悪いが、恐らくご本人の中に最も優れたナレーションを獲得している過信があって、周囲の誰も指摘できない環境も想像できるが、世間が気にならないまま納得しているならどうでもいいことかもしれない。美しい喋り方は美しい絵画に似ていて、例えば印象派の誰かが素晴らしくてもグッズとして販売されているネクタイやマグカップの耐えられない俗っぽさ。5,000円くらいする。誰が買うのやら。
しかしながら「皇室日記」は面白い。
今回のテーマは前天皇最後のご公務。平成から令和への変化が主題でしたが、後日ニュースで見た4月30日~5月1日の渋谷交差点で騒ぎまくる「なんと平和な氾濫」なこと。メーデーのベネゼエラの悲劇。人々よ世界に目を向けよ。
4月30日。平成最後の日、寺山修二氏の三十七回忌法要に招待いただきました。
つい先週のこと個人的に寺山修二記念館に問い合わせをしたいことがあり(内容は恥ずかしいので端折ります。)記念館の代表であり副館長の笹目さんと電話でお話ができ、その後のメールで「法要にお越しください。」となった。
今回は招待状を多方面に送付している訳ではなく、「寺山さん義弟の寺山偏陸(ヘンリック)さんと2人だけかもしれない。」とのご連絡いただいた。それでも部外者の僕が訪問していいのだろうか?と若干の不安を抱きつつ高尾霊園高乗寺に向かいました。大きな霊園で場所探しに少し躊躇するも数名の人影を確認。あそこだな。八重桜が散り桃色の絨毯のような小道の先にお墓があった。計10名の参列。
笹目さんと偏陸さんにご挨拶。蘭妖子さんもいらっしゃった。
山の緑が濃く、小雨が心地良く、お経はこだまのように心に響き、肉体の無駄な成分が洗い流されていくように思われた。
この日は九條今日子さんの命日だそうで、すぐ近くにある墓碑にも手を合わせた。
その後、お寺の入口近くの食堂でおでんとお蕎麦をご馳走になりました。天井桟敷の人々。
笹目代表から貴重なお話を聞けて嬉しかった。お気を使いいただきありがとうございました。今後もご教示いただけたら幸甚です。
蘭さんは優しいお人柄。僕が来た経緯を説明すれば「出会いなんてこんなものよ。」と笑顔で答えてくださった。「あなたの名刺見たことあるわ!」あるはずはない初対面である。
蘭妖子さんの歌を参考までに。
偏陸さんは翌日FBで繋がってくださり、5月3日~4日青森三沢でのイベントにお誘いいただくも、金銭的理由と体調にも自信が無く残念ながらお断りするしかなかった。演出担当される三上博史さんのライブがあるとのこと。何か次回チャンスがあれば必ず訪問できる準備を心がけます。
また青森からおこしの寺山研究家のご婦人ともお話しする時間が今後あれば嬉しいです。
まさか天井桟敷の人々との交流が生まれるとは思わなかった。縁の不可思議。
もう少し自分が高齢であれば舞台をリアルタイムで鑑賞できたはず。こればかりは仕方がないけれど悔しい。ビデオではどうにもこうにも生々しさが感じられない。
映画と本を見直してみたいと思い。その日のうちに映画「初恋地獄篇」を繰り返し鑑賞。その後疲労を感じ、いつもの自分に戻ってしまったよう。しかし、平成の終わりの貴重な体験はこれからの変化につながる確信に似た手ごたえを感じられた。
身体を治さなければ。
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今後の予定
※9月23日 ブッフビンダーのリサイタル (初台オペラシティ)
※未定ですが、自分の朗読舞台を検討中